神社自体の由緒は資料が見つからず不明。
邑楽郡に点在する長良神社には、藤原長良が瀬戸井沼(千代田町)に巣食っていた大蛇を退治し、その身体を十八に切り分けて各地に鎮め、それに感激した里人が長良様を祀るようになったという「十八長良」という伝承があり、ここも十八長良の一社の可能性が高い。
この神社の脇にある農道はかつては「大蛇川」と呼ばれる大きな川であったと伝えられ、藤原長良自身は登場しないものの、いくつか大蛇伝説が伝わっている。
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其の昔、長良神社東に大蛇川という名の大きな流れがあった
この川は鞍掛山の北側の神谷という芦原の水を呑み込む、長さ約三町、川幅最大約数十間程、南東の方向に流れて鳥内の水田を潤す水源となっていた
又、此の川には大薬(大墓?)長良前に人柱の橋が架けられたという言い伝えも残っている
今此所に伝説の主 大蛇を蘇らせて此処に祀る
(神社内の大蛇像の案内板より)
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赤堀に、享録二年(1529年) 青柳城主の赤井照光が出張りを設け、配下の橋本新蔵に守らせたという橋本館があり、そこには大きな外堀がありました。
外堀は幅が広いところでは五間半以上(約10m)もあり、木立に覆われ所々陽が差しますが、幅はだんだん狭くなり、やがてカヤやカツモが生い茂った中を幅一間(約1.82m)くらいで流れ、まもなく赤岩から赤堀への橋の下を通り橋場川へと流れました。
その堀のカヤやカツモが茂り、右手に明王院が見える所にはお伊勢様が祀られていました。お伊勢様はそばまで行かなければわからないような小さな祠でした。
その辺りは川幅も少し広くなり、よくフナやザッコが釣れました。しかしそこには大蛇がいるというので、魚釣りに近寄る人は少なかったのです。
あるとき一人の釣り人が「大蛇なんているはずがない。そんなことは嘘だ」と言って、茂ったカヤの中に入っていきました。
ところがすぐに真っ青な顔をして、ものも言わずに帰ってきて、そのまま三、四日寝込んでしまいました。
後で聞いた話では、その人は大蛇を見たのだそうです。とぐろを巻いていたので長さはわからないが、太さは一升瓶くらいあったそうです。
その大蛇が鎌首をもたげて釣り人をグッとにらんだその目の光に、思わず腰が抜けて口も聞けなくなったそうです。
(広報おうらより 一部編集)
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※赤井照光 戦国時代の館林領主。後に子狐を助けた恩返しで館林城を築く(尾曳稲荷神社)
※先の話に「人柱の橋」というのが出てくるため、後の話の橋場川は大蛇川と同一または支流と思われる。
※橋本館の位置は不明。
※お伊勢様の祠も不明、南東すぐの所にある名称不明の小神社か?