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南光寺ではいただけません
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なんこうじ|高野山真言宗佛修山

南光寺
群馬県 韮川駅

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巡礼

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新田秩父三十四観音霊場 第二十二番

南光寺について

源頼朝が信州善光寺参詣の途中、夢で見いだしたお寺と伝わる。明治期に出現したという狢の伝説も残る。

群馬県のおすすめ🎎

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おすすめの投稿

くし
2024年02月14日(水)
1450投稿

太田市の、あのさざえ堂で有名な曹源寺にもほど近い所に建つ、高野山真言宗のお寺です。

実は当初はこのお寺自体ではなく、このお寺が兼務してる心王寺という別のお寺の御朱印をいただきに伺ったのですが、公式HPを見たところこのお寺も源頼朝に関係する興味深い縁起を持つお寺だと判明。
さらにもう一つ、なんと明治になってから出現したという化け狢の伝説が伝わってるらしい!Σ(; °Д°)
しかもそれがお寺の推し御利益の虫封じの起源にもなってるという、なかなかユニークなお寺ですw

しかしまぁ・・・一つ前の雷電神社といい、ここの狢といいどっちも文明開化後だぜ(^^; 太田のこの辺の人はよほど迷信深・・・・・いやw 夢がありますねwww

御住職は線の細い若いお坊さんでとても親切な方でした♪
本堂でお待ちください(^^)とワザワザ暖房を点けてくれたり・・・(*°Д°*)

御住職に過去の御朱印を見せていたら・・・
「あれ!? これウチの父のお寺ですよ!Σ(°Д°)」
なんとこの前、朝の勤行会に参加させてもらった地福院の息子さんでした!?Σ( ̄□ ̄;)
地福院の御住職がお父さんで福住職がお兄さんとのこと。

いや~、縁てあるんですねぇ(*^ω^)などとお話しし、とても和やかな気分でお寺を出ることがでしました(* ̄∇ ̄)
思えば常行寺でもお経がキッカケで会話の端緒が掴めたし、確かにあの勤行会は功徳があったかもしれん(゜゜;)

とても良いお寺でまた来たいと思いましたので、ここが受印対象になってる新田秩父三十四ヶ所巡礼を回ってみようと発願しましたw

南光寺の御朱印

久しぶりの直書きです♪ 繊細な字ですね☆
このお寺の御利益「虫封じ」の印が入ってます
・・・もう癇の虫には縁がないので、水虫封じか虫歯封じだが orz

南光寺(群馬県)

現在、回りの壁などが工事中らしい
右の薮も駐車場か墓地として工事中のようだった

南光寺(群馬県)

小僧となってますが、千と千尋の神隠しの坊のようにでかいw

南光寺(群馬県)

御利益は子育てなんだけど・・・財運招福を願った(^^;
たぶん坊からすれば( °д°)ハァ?だったと思うwww

南光寺(群馬県)

坊の隣は六地蔵

南光寺(群馬県)

山門

南光寺(群馬県)

開山の南蔵法師は「梵僧」だったらしい
これは「インドの僧」という意味と「戒行を固く守る僧」という二つの意味があるそうで・・・
名前から考えてもできれば前者を採用したい♪

南光寺(群馬県)

境内入ってすぐ右に鐘楼

南光寺(群馬県)

左にもともと何か建物跡らしい霊跡がありましたが、お寺のHPでは触れられておらずなんだかわからず('_'?)
一番奥に御神木と如意輪観音があった

南光寺(群馬県)

別の御神木
こちらは根本にかわいい地蔵

南光寺(群馬県)

薬師堂

南光寺(群馬県)

中には一見するとお地蔵さんのような石仏のお薬師さま

南光寺(群馬県)

め薬師らしく、足元には旧EVAのリリスのお面(違)

南光寺(群馬県)

これが明治時代に現れた化け狢が封じられた椿の木
狢神の御神体のようなものなので手を合わせました(^人^)

南光寺(群馬県)

力付くで退治するのではなく神として祀ってホメ殺すw
天神様や将門公と同じ御霊信仰ですが、相手が狢なだけに微笑ましい(*´∀`*)

南光寺(群馬県)

本堂

南光寺(群馬県)
南光寺(群馬県)

御朱印をお願いしたところ、わざわざ暖房を付けて本堂にあげてくださいました(*°∀°)

南光寺(群馬県)

御本尊の聖観音菩薩
釈迦如来のように文殊・普賢の脇侍が付いた珍しい組み合わせです

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南光寺の基本情報

住所群馬県太田市上小林町271
行き方
アクセスを詳しく見る
名称南光寺
読み方なんこうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0276-22-1958
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.nankouji.com/
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詳細情報

ご本尊《本尊》聖観世音菩薩(霊場本尊)
《脇侍》普賢菩薩・文殊菩薩
《堂宇》薬師堂
《諸尊》不動明王・弘法大師・勢至菩薩・千手千眼観世音菩薩・狢神
山号佛修山
院号密蔵院
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代久安元年(1145年)
開山・開基南蔵法師
札所など

新田秩父三十四観音霊場 第二十二番

ご由緒

当寺が南光寺とする由来は、久安元年(1145年)、3月18日、梵僧南蔵法師が現れ、この地が佛場感應の地なりとすぐに安住する。
3年後、3月18日一人の佛子を得る。また、彼に曰くこの地が人々を救済するのに適した場所として自ら南蔵庵と称し、人々は彼を崇敬する。
建久八年(1197年)、征夷大将軍、源頼朝卿が信州善光寺へ御参詣の途中、御夢に佛場というべき草庵にて梵僧の御説法あり。 御名を聞いたところ、我は南蔵法師と述べて卿は歓喜し、光明天を輝かして昇天する。卿は御夢の出来事に感銘を受けてその後、諸国社寺の再興に尽力した。当寺へご参詣したおりには御夢の出来事に感謝して、佛修山南光寺密蔵院となる。
(寺院HPより)

【南光寺の狢伝説】
韮川村大字上小林の南光寺を中心として起こった物語である。
明治四、五年頃の出来事と伝えられる。非常に面白いことをする一匹の貉、休泊川の土堤に棲み、近隣の人家に様々な悪戯を行う。
ある時は同村善太郎の庭等にてあたかも車を挽き廻す音を立て、家の人が外に出てみるとその姿を消し、ある時は寝静まっている人家を起こすなど数々の悪戯を行った。これを世の人は南光寺貉の仕業と語り伝える。
数々の悪戯が同村の方々を悩ませ、ついに貉退治の儀が起こり猪越仲衛門を中心とし貉を退治した。同時に不思議とその悪戯は止まり、参詣する者多く、一時、非常に繁昌した。
その後、神に祀るに際し、当時の南光寺住職であった泰運僧正が祭式を司り、南光寺境内の一隅にある椿の木の所に埋葬した。このお話が南光寺蟲封じの起源となっています。

体験祈祷御朱印武将・サムライ札所・七福神巡り伝説

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