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天増寺ではいただけません
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てんぞうじ|曹洞宗寒巌派大陽山

天増寺
群馬県 伊勢崎駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

⚫︎伊勢崎佐波観音三十四霊場
第十九番札所
⚫︎新上州三十三観音霊場
第十四番札所

おすすめの投稿

すず
すず
2023年04月23日(日)
149投稿

立派な山門に境内にはたくさんの貴重な石塔や
石碑があり見応えあります。

天増寺の山門

色彩鮮やかで堂々とした立派な山門です。😯

天増寺(群馬県)

山門の金剛力士像。
阿行。

天増寺の像

山門の金剛力士像。
吽行。

天増寺(群馬県)

境内にはたくさんの石塔や石碑があります。

天増寺(群馬県)

おすくい地蔵。
手前に彫られた手に
両手を合わせて罪科を悔い改めるように
地蔵真言を唱えると、願いが清らかであれば苦悩を取り去り叶えてくれるそうです。

天増寺(群馬県)

幸福と財産の神。
布袋様。
メッチャお腹を撫で撫でしました。🥰

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断捨離
断捨離
2020年11月03日(火)
1352投稿

伊勢崎藩領主、稲垣平右衛門長茂が、稲垣家の菩提寺として創建されたお寺です。
実際稲垣家が治めていたのは16年間ですが、敷地内には稲垣家のお墓がずらりと並び、この地に愛着がわいていたことがわかります。

御朱印はコロナの影響でお休み中でした。

天増寺の山門

まず、立派だなぁ〜と思いました。

天増寺の山門

仁王門
平成10年に復元されました。大変大きく、美しい門だと思います。

天増寺の山門

紅葉も始まりました。
門の右手には梅の木があります。季節によって、印象が変わりますね。

天増寺の手水

洗手水鉢と掘られています。
再建した時に置いたのか、始めからあったのかわかりませんが、こんな所にあったので、不思議に思いました。

天増寺の像
天増寺の像
天増寺の像
天増寺の建物その他
天増寺の建物その他
天増寺の塔
天増寺の山門
天増寺の本殿

仁王門をくぐると、左に大きなすりこぎ棒が吊るされていました。
身を削り、人知れず美味しいアジを出している、すりこぎ棒

天増寺の塔

市内では最大最古の宝塔

天増寺の建物その他

佛足石

天増寺の建物その他

布袋さま

天増寺の建物その他

ちょっと不気味だった。

天増寺の地蔵
天増寺の地蔵

お救い地蔵尊

天増寺の像
天増寺の建物その他

こちらに自分の手を置き、懺悔するとお地蔵様が救ってくれます。

天増寺の手水

変わった手水舎です!

天増寺の手水
天増寺の狛犬

不思議な置きもの。台湾製だそうで、ちょっと前に曹洞宗で流行ったので購入したと、和尚さんから聞いた人がいました。( ◠‿◠ )流行りがあるのですね。

天増寺の建物その他

本堂

天増寺の建物その他

鳴らすと良い音のする鐘です。

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歴史

大陽山天増寺は慶長六年(1601年)、伊勢崎の領主になった稲垣平右衛門長茂により、慶長八年(1603年)に稲垣家の菩提寺として創建されました。
開山には旧知の間柄であり敬慕してやまなかった三河国の豊川稲荷として天下に名高き妙厳寺の第九世天室伊堯大和尚を招請した。かかる所以に因り当山は洞門にあっては数少ない寒厳派の法灯を伝承する寺院である。
稲垣長茂は、関ヶ原の戦いでの論功行賞で勢多郡新川の三千石から一万石に加増され、伊勢崎の領主となり廃城を改築し城を中心に城下町の建設を志し、現在の伊勢崎のもとを創り上げた人物である。伊勢崎の生みの親ともいえる長茂が菩提寺と定めた場所は、粕川寺という草庵のあったところである。
境内には昭和三十五年(1960年)三月二十三日に県指定重要文化財に指定された「天増寺宝塔」があります。この宝塔は、全体的に風化や摩耗の具合も比較的少なく、ほぼ原形を伝えている。相輪は宝珠の下に大きな水煙をもち、屋蓋は高さ四十センチに対し、軒口の厚さが約十二センチと重厚で穏やかな反りがある。球体の塔身は安定感がある。貞和二年(1346年)の造立年が刻まれており、市内にある在銘の宝塔では最古・最大のものである。そして、この宝塔から推測すると、南北朝時代の天台宗の寺跡ではないかと考えられる。
寺院が完成すると三代将軍家光によって、御朱印四十石の寺領が与えられ、上野常恒会十四談林の一ヶ寺として、多くの雲水が弁道修行に精励した北関東の名刹となりました。そして近隣に見ない大寺院の一つであった。しかし幾星霜過ぎ来たる間、寛文八年(1668年)、天明六年(1786年)、明治二十五年(1892年)の三度に渡って火災に遭い、その都度道念篤き住持や大檀公等によって再建されて来たものの諸堂宇の規模は次第に縮小のやむなきに至りました。
寺の東奥に、宝篋印塔の大集落がある。伊勢崎領主であった稲垣家の歴代の墓であり、歴代の大名の墓が二十一基立ち並んでいます。いずれもすこぶる雄大で、時代の特徴をよく表している。特に長茂の墓(総高395センチメートル)は巨大であり、石工の高い技術が各所に見られる。「稲垣平右衛門長茂の墓附累代の墓所」として昭和四十二年(1967年)二月十五日に市指定史跡に指定されています。
このように、歴代の巨大石造美術がそろっているのは全国でもまれである。長茂は慶長十七年(1612年)病没し嫡男稲垣重種がその遺領を継ぎ二代目藩主となった。元和元年(1615年)大阪夏の陣の功績により、重種は越後国藤井二万石の領主となり、稲垣家のこの地での治世は十六年間であったが、その後も愛知・滋賀・栃木・三重と転封となりますが以降も子孫は当主の亡骸ををここに納め代々稲垣家の領主の墓を建て供養してきました。このことは、初代長茂の伊勢崎に対する愛着の深きことが所以と思われ歴史が偲ばれます。
境内の中央に建つ重層の山門は、平成十年(1998年)に大改修され、見事なほどに復元され、往時の寺歴を物語るか如く、美観と威厳を示している。
宝暦の頃、昔より粕川はよく増水氾濫をを起こし、伊勢崎と下植木を結ぶ仮橋が流され、村人たちの苦しみは大変なことであった。住民は藩に橋を架けるように願いを出したが、藩にはその費用がなく、やむなく当時の天増寺の住職の万幾和尚が、橋の費用捻出のため御布施を集めて巡錫した。やがて世話人もでき多くの人々の助けにより、粕川に常橋が架けられた。これが天増寺橋である。この橋の交通安全と、増水で亡くなった人畜の供養の為、宝暦十二年(1762年)に巨大な地蔵様「門前大地蔵尊」が建立されたのである。この地蔵尊は平成二十二年十月一日に「天増寺橋供養地蔵尊像」として市指定重要文化財に指定されています。
また、本尊とされる千手観音は「持仏堂」に安置されているが、当初本尊仏に武運長久を祈り、幾多の合戦に懐中に持ち歩いた守り本尊の千手観世音像を祀ったと伝えられている。
本堂のすぐ西の木陰にひっそりと、戦国時代末期の造立の小さな宝篋印塔がある。悲劇の主の那波小太郎、那波小次郎の兄弟の墓である。伊勢崎の城は赤石城とよばれ那波氏の居城であった。天正十八年秀吉の小田原攻めの際、城主顕宗は北条攻めに加わった上杉景勝に帰順の意を表し加勢するため出陣。その留守を突いて、侵攻した謀反者を粕川東岸に迎え撃ち、それぞれ若干十八歳・十六歳の若さで蕾の命を散らした二人の若武者の供養塔である。この苔むした宝篋印塔は落城の秘話を秘めたまま、静かに時の流れを伝えています。
また、平成八年三月二十九日に市指定重要文化財に指定された「絹本著色稲垣平右衛門長茂像附同重宗像」があります。この画幅は、稲垣家伝来の画幅の写しを菩提寺へ納めたもので、箱蓋裏書から嘉永元年(1848年)に七日市藩堤唯右衛門が模写したことがわかる。
(境内記念碑、境内案内板、新上州観音霊場三十三カ所、伊勢崎市HPより)

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1
名称天増寺
読み方てんぞうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0270-25-2787
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

新上州観音霊場三十三カ所

第14番

詳細情報

ご本尊千手観世音菩薩
山号大陽山
院号香火院
宗旨・宗派曹洞宗寒巌派
創建時代慶長8年(1603年)
開山・開基開基 稲垣長茂
文化財

⚫︎天増寺宝塔(群馬県指定重要文化財)
⚫︎絹本著色稲垣平右衛門長茂像附同重宗像(伊勢崎市指定重要文化財)
⚫︎稲垣平右衛門長茂の墓附累代の墓所(伊勢崎市指定史跡)

ご由緒

大陽山天増寺は慶長六年(1601年)、伊勢崎の領主になった稲垣平右衛門長茂により、慶長八年(1603年)に稲垣家の菩提寺として創建されました。
開山には旧知の間柄であり敬慕してやまなかった三河国の豊川稲荷として天下に名高き妙厳寺の第九世天室伊堯大和尚を招請した。かかる所以に因り当山は洞門にあっては数少ない寒厳派の法灯を伝承する寺院である。
稲垣長茂は、関ヶ原の戦いでの論功行賞で勢多郡新川の三千石から一万石に加増され、伊勢崎の領主となり廃城を改築し城を中心に城下町の建設を志し、現在の伊勢崎のもとを創り上げた人物である。伊勢崎の生みの親ともいえる長茂が菩提寺と定めた場所は、粕川寺という草庵のあったところである。
境内には昭和三十五年(1960年)三月二十三日に県指定重要文化財に指定された「天増寺宝塔」があります。この宝塔は、全体的に風化や摩耗の具合も比較的少なく、ほぼ原形を伝えている。相輪は宝珠の下に大きな水煙をもち、屋蓋は高さ四十センチに対し、軒口の厚さが約十二センチと重厚で穏やかな反りがある。球体の塔身は安定感がある。貞和二年(1346年)の造立年が刻まれており、市内にある在銘の宝塔では最古・最大のものである。そして、この宝塔から推測すると、南北朝時代の天台宗の寺跡ではないかと考えられる。
寺院が完成すると三代将軍家光によって、御朱印四十石の寺領が与えられ、上野常恒会十四談林の一ヶ寺として、多くの雲水が弁道修行に精励した北関東の名刹となりました。そして近隣に見ない大寺院の一つであった。しかし幾星霜過ぎ来たる間、寛文八年(1668年)、天明六年(1786年)、明治二十五年(1892年)の三度に渡って火災に遭い、その都度道念篤き住持や大檀公等によって再建されて来たものの諸堂宇の規模は次第に縮小のやむなきに至りました。
寺の東奥に、宝篋印塔の大集落がある。伊勢崎領主であった稲垣家の歴代の墓であり、歴代の大名の墓が二十一基立ち並んでいます。いずれもすこぶる雄大で、時代の特徴をよく表している。特に長茂の墓(総高395センチメートル)は巨大であり、石工の高い技術が各所に見られる。「稲垣平右衛門長茂の墓附累代の墓所」として昭和四十二年(1967年)二月十五日に市指定史跡に指定されています。
このように、歴代の巨大石造美術がそろっているのは全国でもまれである。長茂は慶長十七年(1612年)病没し嫡男稲垣重種がその遺領を継ぎ二代目藩主となった。元和元年(1615年)大阪夏の陣の功績により、重種は越後国藤井二万石の領主となり、稲垣家のこの地での治世は十六年間であったが、その後も愛知・滋賀・栃木・三重と転封となりますが以降も子孫は当主の亡骸ををここに納め代々稲垣家の領主の墓を建て供養してきました。このことは、初代長茂の伊勢崎に対する愛着の深きことが所以と思われ歴史が偲ばれます。
境内の中央に建つ重層の山門は、平成十年(1998年)に大改修され、見事なほどに復元され、往時の寺歴を物語るか如く、美観と威厳を示している。
宝暦の頃、昔より粕川はよく増水氾濫をを起こし、伊勢崎と下植木を結ぶ仮橋が流され、村人たちの苦しみは大変なことであった。住民は藩に橋を架けるように願いを出したが、藩にはその費用がなく、やむなく当時の天増寺の住職の万幾和尚が、橋の費用捻出のため御布施を集めて巡錫した。やがて世話人もでき多くの人々の助けにより、粕川に常橋が架けられた。これが天増寺橋である。この橋の交通安全と、増水で亡くなった人畜の供養の為、宝暦十二年(1762年)に巨大な地蔵様「門前大地蔵尊」が建立されたのである。この地蔵尊は平成二十二年十月一日に「天増寺橋供養地蔵尊像」として市指定重要文化財に指定されています。
また、本尊とされる千手観音は「持仏堂」に安置されているが、当初本尊仏に武運長久を祈り、幾多の合戦に懐中に持ち歩いた守り本尊の千手観世音像を祀ったと伝えられている。
本堂のすぐ西の木陰にひっそりと、戦国時代末期の造立の小さな宝篋印塔がある。悲劇の主の那波小太郎、那波小次郎の兄弟の墓である。伊勢崎の城は赤石城とよばれ那波氏の居城であった。天正十八年秀吉の小田原攻めの際、城主顕宗は北条攻めに加わった上杉景勝に帰順の意を表し加勢するため出陣。その留守を突いて、侵攻した謀反者を粕川東岸に迎え撃ち、それぞれ若干十八歳・十六歳の若さで蕾の命を散らした二人の若武者の供養塔である。この苔むした宝篋印塔は落城の秘話を秘めたまま、静かに時の流れを伝えています。
また、平成八年三月二十九日に市指定重要文化財に指定された「絹本著色稲垣平右衛門長茂像附同重宗像」があります。この画幅は、稲垣家伝来の画幅の写しを菩提寺へ納めたもので、箱蓋裏書から嘉永元年(1848年)に七日市藩堤唯右衛門が模写したことがわかる。
(境内記念碑、境内案内板、新上州観音霊場三十三カ所、伊勢崎市HPより)

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