曹洞宗
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養泉寺のお参りの記録一覧
たかく
2019年10月06日(日)
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養泉寺は、現在の東2丁目、かつては芳町、さらに古くは今泉と称された地、桐生川のほとりにある。山号を「青龍山」と号すが、青龍は中国の伝説上の神獣で、東方を守護するとされることから、この山号は桐生の街の東にあることを意味するものと考えられる。また、かつては「清流山」と号したこともあるが、この清流は桐生川をさしているものと思われる。
養泉寺の開創は戦国時代までさかのぼる。由良氏が桐生氏を滅ぼし、桐生城に入城したのち、由良氏重鎮であった金谷因幡守はその領地に庵室を建立し、同じ今泉にあった東勝寺の和尚を居住させた。これが、金谷因幡守開基の「水竹庵」であり、養泉寺の基となったと伝えられている。由良氏が牛久へ国替えとなった後は、臨済宗寺院であった東勝寺の庵室として存続したものと思われる。水竹庵が「青龍山養泉寺」とあらたまったのは元禄の頃、当時、この地を領地とした旗本、竹本土佐守が、その父、竹本養意を開基とし、鳳仙寺11世曲外嶺松大和尚を開山和尚に請して再興したことによる。以降、曹洞宗に属する。竹本養意は金山家館林家両家の医師であったが、寛文の頃、この地に移住したとされる。戒名、寂照院殿来室養意居士。その妻、瑞泉院殿縁誉心光大姉とともに養泉寺開基となっているが、養泉寺の寺号はこの2人の戒名にちなんでいることがわかる。
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