てんじんじゃ
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天神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月04日(土)
参拝:2020年11月吉日
天神社は、埼玉県児玉郡上里町五明にある神社。式内論社で、旧社格は村社。
『明細帳』において、「創立不詳、本社ハ延喜式内当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実神社ナリト云伝フ」と記載されている。つまり、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今城青八坂稲実神社 小」の論社とされており、論社は他に5社ある。『風土記稿』五明村の頁には、「丹生社・天神社、以上二社を村の鎮守とす」との記載がある。『郡村誌』には、「月讀命を祭る、万寿元甲子年(1024年)九月藤原知近創建す」と記載があるが明らかではない。明治時代になると村社に列し、やがて丹生社を合祀した。
当社は、JR高崎線・神保原駅の西3kmほどの平地で、関越自動車道脇の周りに何もない場所にある。境界が分かりにくい広い場所にポツンとある感じなので、広々とした感じはするが、社殿のサイズ感からすると、<ザ・村の鎮守>といったところ。木々が残っていて神社らしい雰囲気があり、参拝時はたまたま以上のじゅうたんが形成されていて、境内は非常にきれいだった。
今回は、武蔵國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外に参拝者は一人も見かけなかった。
『明細帳』において、「創立不詳、本社ハ延喜式内当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実神社ナリト云伝フ」と記載されている。つまり、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今城青八坂稲実神社 小」の論社とされており、論社は他に5社ある。『風土記稿』五明村の頁には、「丹生社・天神社、以上二社を村の鎮守とす」との記載がある。『郡村誌』には、「月讀命を祭る、万寿元甲子年(1024年)九月藤原知近創建す」と記載があるが明らかではない。明治時代になると村社に列し、やがて丹生社を合祀した。
当社は、JR高崎線・神保原駅の西3kmほどの平地で、関越自動車道脇の周りに何もない場所にある。境界が分かりにくい広い場所にポツンとある感じなので、広々とした感じはするが、社殿のサイズ感からすると、<ザ・村の鎮守>といったところ。木々が残っていて神社らしい雰囲気があり、参拝時はたまたま以上のじゅうたんが形成されていて、境内は非常にきれいだった。
今回は、武蔵國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外に参拝者は一人も見かけなかった。
境内東端入口から境内全景。当社は地図で見ると面白い場所にあって、関越自動車道・上里SA(下り)のすぐそばにある。
入口の<鳥居>。水害の名残りか、小さな青銅製の六脚鳥居で土台がしっかりしている。
無人社だが、社殿まで真っ直ぐ伸びる<参道>は、綺麗に掃き清めたあとがある。
参道左側の簡素な<手水舎>。
手水舎前から<拝殿>を望む。太陽の光で銀杏の木と落葉の色が黄金色に。これは美しいかも。
参道右手にある<神楽殿>。
<拝殿>遠景。銀杏の黄金色が拝殿に反射していて、実際の建物の色が分からない。(o^―^o)
拝殿手前左側の<狛犬>。けっこう古そう。100歳は越えているのかな?
拝殿手前右側の<狛犬>。こちらはかわいそうに、お顔の部分が割れている...
<拝殿>全景。特徴は若干凝った瓦屋根ぐらいかな。
<社殿>全景。村の鎮守としては大きめ。
拝殿後ろの<本殿>。覆屋にすっぽり隠れている。
社殿の右側奥にある境内社。瑞垣で囲われ石垣の上に建っているので特別な神社なのかな?
本殿周りの石製小祠群。イチョウの葉で飾られている。
社殿の左側奥にある境内社。こちらも、大事そうに瑞垣で囲われ石垣の上に建っている。
社殿の左側に立っている石碑。こちらも特別な何かなのかな...(。´・ω・)?
社殿の左側に立っている<御神木>。境内を黄金色に染める仕掛人。
御神木のところから見た境内全景。塀や柵がないので伸びやかな印象。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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