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達磨寺ではいただけません
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達磨寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月20日(日)
参拝:2021年5月吉日
達磨寺(だるまじ)は、群馬県高崎市にある黄檗宗の寺院。山号は少林山、院号は鳳台院。本尊は十一面観音・北辰鎮宅霊付尊神。「高崎のだるま市」で知られる。また、昭和の戦前にドイツ人建築家・ブルーノ・タウトが当寺で2年を過ごし、助監督時代の黒澤明が脚本化した映画「達磨寺のドイツ人」の舞台となった。また、「上毛かるた」で「縁起だるまの少林山」として「え」の札に採用されている。
創建は江戸時代前期の1697年、前橋城主の酒井氏が、城の裏鬼門を守るため、水戸光圀が帰依していた中国僧・心越禅師を開山に迎え開創。その後、水戸徳川家から三葉葵の紋を拝領。江戸時代中期1782年からの天明飢饉の際に9世東嶽和尚が農民救済のため、張り子の達磨像を副業として作らせ、七草大祭(毎年1月6日、7日に開催する星祭の縁日)で売り出したのが縁起達磨の最初。七草大祭は、現在まで300年以上続いている。
当寺は、JR信越本線・群馬八幡駅の南方1kmの碓氷川南岸の高台にある。境内は広く、整備された林の中に見どころが散らばっているため、自然を満喫しながら散策できる。
今回は旅国情報サイト<じゃらん>で人気の寺院として参拝することに。参拝時は週末の午後で、家族連れを中心に、けっこうな人数の人々が参拝に訪れていた。
※当寺の御朱印は、写経を納めた証しとして拝受する。写経を持参しなかった場合には、その場で般若心経の十文字を写経し、祈願内容と氏名を記載して提出すると、坊主さんが読経の上、祈願文を読み上げる。その後、御朱印を拝受できる。
創建は江戸時代前期の1697年、前橋城主の酒井氏が、城の裏鬼門を守るため、水戸光圀が帰依していた中国僧・心越禅師を開山に迎え開創。その後、水戸徳川家から三葉葵の紋を拝領。江戸時代中期1782年からの天明飢饉の際に9世東嶽和尚が農民救済のため、張り子の達磨像を副業として作らせ、七草大祭(毎年1月6日、7日に開催する星祭の縁日)で売り出したのが縁起達磨の最初。七草大祭は、現在まで300年以上続いている。
当寺は、JR信越本線・群馬八幡駅の南方1kmの碓氷川南岸の高台にある。境内は広く、整備された林の中に見どころが散らばっているため、自然を満喫しながら散策できる。
今回は旅国情報サイト<じゃらん>で人気の寺院として参拝することに。参拝時は週末の午後で、家族連れを中心に、けっこうな人数の人々が参拝に訪れていた。
※当寺の御朱印は、写経を納めた証しとして拝受する。写経を持参しなかった場合には、その場で般若心経の十文字を写経し、祈願内容と氏名を記載して提出すると、坊主さんが読経の上、祈願文を読み上げる。その後、御朱印を拝受できる。
境内入口の<総門>。黄檗宗らしい中華風の寺門。北側に面している。
総門をくぐると、170段近くのまっすぐ伸びた<大石段>が待ち受ける。これを回避する迂回路として、右側に<女坂>がある。
大石段を少し上がった左側にある<不動尊>。境内案内図に書いてあるが、小さいので見過ごすかも...
階段を登り切ったところにある<庭園>。真ん中に<放生池>があり、石と草木で見事に構成されている。
左を見ると<大講堂>。
右を見ると<瑞雲閣(寺務所)>。御朱印はこちら。
振り返ると<鐘楼>。大石段を登り切る時にこの下をくぐってきたことになる。鐘楼が大講堂と瑞雲閣を繋いでいる、面白い建物の造り。
放生池庭園の左側をさらに70段近く登る。
参道左手に<水屋>。
階段を登り切ると正面に<霊符堂(本堂)>。
本堂正面。<霊符堂>の扁額。年季が入っている。
願いが叶うとだるまを納めるのか、霊符堂の両側には大量のだるまが。(高崎発祥のホームセンター、カインズの大だるまが気になる~♪)
霊符堂の左隣には<達磨堂>。右半分は、洒落たグッズを販売する授与所になっている。
霊符堂から右方向に進むと、一段下がったところにある<観音堂>。藁葺屋根に、褪せた漆黒の躯体、刺し色の朱色と、年季と重厚感とが半端ない。めちゃくちゃ自分好みのお堂。一目惚れ。
<厄除観世音>と書かれた扁額。
観音堂から少し下るとストーンサークルのような<百庚申>。
さらに下ると、無数の<庚申>と刻まれた石群が。
百庚申の石群の間を下って来ると、観音堂の階段の下、瑞雲閣(寺務所)の前に出てくる。
寺務所で御朱印をもらおうとすると、お坊さんに写経を持参したか聞かれる。持参していない旨を伝えると、納経の意味を説明され、10文字の写経をするよう勧められる。これを納めると、一人ひとり、願い事を含め、お坊さんが読経してくれる。すごく新鮮な気持ちになる。
寺務所から、放生池庭園、大講堂の前を通って、境内東側に向かう。大講堂前にある<中曽根夜荘歌碑>。
中曽根夜荘って誰?と思ったが、調べると群馬県+中曽根といえば、故中曽根康弘元首相とのこと。「初市や 紐たして背負う 大達磨」とある。
中曽根夜荘って誰?と思ったが、調べると群馬県+中曽根といえば、故中曽根康弘元首相とのこと。「初市や 紐たして背負う 大達磨」とある。
境内案内図に<稲荷大明神>とあるので、大きな社殿を想像したが、実物はかなりかわいい社殿。
稲荷大明神から少し下ったところにある<洗心亭>。大正時代に別荘として建てられた、六畳・四畳半二間の木造平屋の建物。ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが夫人とともに1933年から2年余りを過ごした住居。日本文化を研究し、世界に発信したとのこと。
ブルーノ・タウトの碑。1934年。
洗心亭から少し下ったところにある<筆塚>。
<総門>近くにある駐車場まで戻る。門の手前の橋は<少林橋>。
境内北側を走る<少林山通り>には、大きなだるまの看板が。西側から来て、この看板に気付いた時にはすでに通り過ぎているという不思議な看板...(^_^;)
すてき
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