えなじんじゃ
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楽しみ方荏名神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年07月23日(水) 20時16分37秒
参拝:2025年7月吉日
夏休みに入って渋滞が気になるものの、何度か訪れて好きな街の一つの飛騨高山に来ました。当然早朝の出発。朝8時過ぎに到着しましたが、神職常駐していない神社ですが、書き置きの御朱印が拝殿前に用意されているので、この時間でも大丈夫です。
式内社「飛騨国大野郡 荏名神社」の論社ですが、衰退し所在不明となっていた神社です。文化12年(1815年)、高山の国学者田中大秀が、江名子町の稲置(いなき)の森にあった子安大明神(子安観音堂)を、「荏名」が「胞衣」(胎盤)と解されたためだとして式内・荏名神社に比定し、自らが神主となり荏名神社に改称して再興しました。自ら隠棲し荏野翁と称し本殿傍らに隠居所を建てて住んでいました。この田中大秀なる人物は、この後参拝する神社でもちょくちょく目にする人物です。こののち同様に衰退していた飛騨総社も再興しています。高山の神社を参拝するにあたり、最初の神社としてはふさわしいものになりました。
式内社「飛騨国大野郡 荏名神社」の論社ですが、衰退し所在不明となっていた神社です。文化12年(1815年)、高山の国学者田中大秀が、江名子町の稲置(いなき)の森にあった子安大明神(子安観音堂)を、「荏名」が「胞衣」(胎盤)と解されたためだとして式内・荏名神社に比定し、自らが神主となり荏名神社に改称して再興しました。自ら隠棲し荏野翁と称し本殿傍らに隠居所を建てて住んでいました。この田中大秀なる人物は、この後参拝する神社でもちょくちょく目にする人物です。こののち同様に衰退していた飛騨総社も再興しています。高山の神社を参拝するにあたり、最初の神社としてはふさわしいものになりました。

社号標「式内荏名神社」


昭和八年(1933)建立の一の鳥居


参道

由緒書

田中大秀歌碑

田中大秀顕彰碑

昭和七年(1932)奉納の燈籠


神橋由緒碑


弘化二年(1845)建立の神橋(田中大秀設計)


境内を流れ江名子川

社務所

昭和十六年(1941)奉納の燈籠

天保十一年(1840)奉納の燈籠


弘化丙午(1846)奉納の手水鉢


社号標

土台は贔屓

裏には文政元年(1818) 飛騨郡代芝与一右衛門標と刻まれています

燈籠

昭和十年(1935)建立の二の鳥居


磐座 式内社荏名神社と比定したきっかけになりました


昭和十四年(1939)奉納の狛犬



拝殿 御祭神:高皇産靈神・荏名大神



本殿

土蔵

御神木

昭和十六年(1941)奉納の燈籠


昭和十三年(1938)建立の「荏名文庫」標


弘化二年(1845)建立の荏名文庫土蔵


神楽殿

田中大秀大人之碑

境内社 若宮社

若宮社説明板

寛保二年(1742)奉納の燈籠
すてき
投稿者のプロフィール

サンダー2383投稿
2020年2月に九州旅行の折に熊本城へ行き、復興のつもりで始めました。そんな中、コロナウィルスが流行し100日参りをして病気平癒を願って参拝していましたが、さすがに外出できず途中で断念。 落ち...もっと読む
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