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楽しみ方飛騨東照宮のお参りの記録一覧

岐阜県高山市、飛騨東照宮を参拝。
カモシカでしょうか、静かにお出迎えいただきました🙇
徳川家康公没後三年の元和五年(1619)、時の高山藩主金森家三代重頼(幼少時駿府にて小姓として最晩年の家康公に仕えた)が、高山城内に東照権現社を勧請。十年目の寛永五年、城に西面する西之一色鴻巣の杜尾崎に遷座したのが当お社の創始と伝わります。






摂社・金龍神社・御祭神:飛騨高山の始祖、金森長近公










カモシカでしょうか、静かにお出迎えいただきました🙇









深い森の中にありました。

市街中心部から少し離れます。この辺り迄来ると観光客は見かけません。(自分も観光客でした。)そこそこの規模の神社ですが、神職は常駐していないようです。高山藩3代藩主金森重頼が江戸初期元和二年(1616)に高山城内に徳川家康を祀り、元和五年(1619)に東照大権現社を勧請したのが始まりです。寛永五年(1628)に現在地近くに遷座。6代藩主頼旹が社殿を改修し松泰寺を創建し別当としました。暫くすると羽州上ノ山に金森藩(高山藩)が国替えになり、それと共に東照宮は上ノ山に遷座しました。社地は御宮跡と呼ばれ別当時であった松泰寺のみが残りました。後に金山藩は近くの郡上八幡に国替えとなりますが、いわゆる宝暦騒動で藩はお取り潰しとなってしまいます、金山藩から離れ、天領となった高山に戻った東照宮は飢饉等によって荒廃していったようです。時代はゆとりを持ち華やかな文化が華開いた化政時代に入り、本日何度か目にしているときの郡代芝与一右衛門や町の有力者の手により現在地に社殿等が造営されました。東照宮は大方大名家によって勧請されますが、国替えによって遷座することもあるようです。前橋の東照宮も同様でした。しかしお家断絶により荒廃するのは氏子を持たない崇敬神社の宿命でしょう。後に金山家は旗本として再興を許されています。境内社の金龍神社は明治初期によくある旧藩主を祀ったものではなく、先の芝郡代が東照宮境内に祀ったことは起源とされていますが、芝郡代と金森長近公とは何の所縁もありません。高山の礎を築いた藩祖に敬意を表したのでしょうか?

鳥居

燈籠

石段下の拝所

昭和二十七年(1952)奉納の狛犬



手水舎

手水鉢

燈籠

神橋(通行不可)文政元年(1818)の東照宮本殿建築時のものと考えられる


神池

石段 文政元年(1818)の東照宮本殿建築時のものと考えられる

燈籠

安政四年(1857)奉納の燈籠

寄進者 飛騨郡代 福王兵衛藤原信義(第22代飛騨郡代 1852~1858)


石段上から

拝所

昭和六十二年(1987)奉納の狛犬





唐門(県指定文化財) 透塀と本殿と共に文化十五年(1818)造営

透塀


本殿説明板

拝殿 本殿拝所より左へ進み完全に独立して建てられています。本殿と離れた位置にある為、現在は神楽殿として使用されているようです

境内地図

鳥居

文政七年(1824)建立の旧本地堂(市指定文化財)郡代の芝正盛が願主になり建造


扁額「朝日稲荷宮」

扁額「菅公廟」 「豊宇気社」

旧東照宮本地堂説明板

乃木大正碑

慶応三年(1867)奉納の燈籠


境内社鳥居

境内社 金龍神社 神門は、旧松泰寺の前庭にあった江戸時代の門で、昭和十八年(1943)に現在地へ移築 御祭神:金森長近公

明治十一年(1878)本殿は明治十一年(1878)建築の東照宮に合祀された旧山王宮建物を昭和十七(1932)移築



社務所前に書き置きの御朱印が用意されています

1619年飛騨高山藩主・金森重頼が高山城内に勧請した東照権現社を、1628年現在地に遷座したのが始まり。
神仏習合し、松泰寺が別当寺であったが、明治の神仏分離で松泰寺は廃寺となり東照宮として独立した。
現在の本殿は1818年の建築である。
旧東照宮本地堂(薬師堂)は東照宮の本地仏・薬師如来を祀る堂として1824年に建築されたが、明治の神仏分離により現在は稲荷社・菅公廟となっている。
金龍神社は高山藩初代藩主・金森長近を祀る。
旧松泰寺の庫裏(1743年建築)と客殿(1750年建築)が社務所として使われている。


唐門

唐門

本殿





社務所(松泰寺客殿)

社務所(松泰寺庫裏・松泰寺客殿)

朝日稲荷神社・菅公廟

朝日稲荷神社・菅公廟




金龍神社

金龍神社

金龍神社

金龍神社

金龍神社

下呂、飛騨高山巡り⑤ 次に向かったのは飛騨東照宮です。最近東照宮巡りに目覚めまして、高山にも東照宮があることを知って絶対行こうと決めていました。高山の市街地からはちょっと離れた左手前にありました。

社号標です。シンプルに東照宮とだけ書かれています。

とりあえず赤い鳥居を目指して石段を登ります。

飛騨東照宮大鳥居です。少し紅葉した木々をバックにした赤鳥居はなかなかのものです。

手水舎。

毛並みがモコモコしていて暖かそうな狛犬さん

手前が遙拝所。その先の赤い橋を渡って長い石段を登れば社殿に行けます。

残念ながら赤い橋は直接渡れず、左側から回り込みます。その方が美しい景色が見られていいです。

左に行ったら鳥居と赤い社殿の建物がありました。。

境内社の金龍神社です。高山の始祖と呼ばれる高山藩初代藩主である金森長近公が祀られています。

東照宮の礼拝所です。こちらでお参りです🙏こちらの東照宮は拝殿が無く、唐門があってその先に本殿がある形式になっています。


こちらの狛犬さんは金属製で強そうです💪

こちらが唐門です。堂々としていて力強い門です。東照宮と言えば豪華なイメージですが、こちらは質実剛健という感じです。中の本殿が見たかったのですが、

説明板の本殿は彫刻等が素晴らしいそうなのに、石段から先は立ち入り禁止になっています🥲

横に回り込んで辛うじて本殿の屋根を撮すに留まりました。もうちょっと詳しく見たかったなあ😮💨

右側から降りる途中にあった境内社の朝日稲荷・菅公廟です。神仏習合の名残で旧東照宮の本地堂だったそうです。

下まで来たら社務所がありました。無人でしたが書置きの御朱印がありました。

まさに金の龍の立派な御朱印です。ありがとうございました。

御祭神は徳川家康です。飛騨東照宮の建築物は全て重要文化財に指定されています。江戸時代に建てられた建築物が全て残っているのには驚かされます。社務所も含めてですからね。


赤い鳥居

東照宮の石碑

境内案内図

手水社

狛犬

狛犬

金龍神社

金龍神社

東照宮本殿の由緒書き

東照宮本殿



狛犬

狛犬



朝日稲荷宮と天満宮




筆ペンも完備されているので、書き置き御朱印に日付を書き入れできます。

緑色の引き出しに書き置き御朱印が入っています。右側の箱に初穂料を入れておきます。


指定文化財に指定されている社務所

神池と赤い神橋

神橋

東照神君徳川家康公没後三年の元和五年(1619)、時の高山藩主金森家三代重頼(幼少時駿府にて小姓として最晩年の家康公に仕えた。)、高山城内に東照権現社を勧請。十年目の寛永五年、城に西面する西之一色鴻巣の杜尾崎に遷座したのが飛騨東照宮の創始である。金森藩六代頼ときの延宝八年(1680)社殿を改修、清鏡寺跡に東耀山松泰寺を建立別当寺とした。元禄五年(1692)金森藩は羽州上ノ山に転封、高山は所謂天領となった。同藩はその後濃州郡上八幡に国替えとなったが、その間東照社を鎮守として護持、高山の社地は約七十年に亘って御宮跡と呼ばれ、松泰寺のみ寺院として栄えた。その後金森藩は宝暦騒動によりお家断絶、東照社も故地高山へ帰ったが安永、天明と飢饉が続き、祭祀は絶え荒廃。幕府直轄領となって百余年、化政期に入って当時別当を兼帯していた櫻山長久寺良賢法印、東照社の再興を発願、その奔走と江戸で旗本として復活していた金森家後裔重任等の尽力によって再建の運びとなり、時の郡代芝与市右衛門正盛の采配により、高山の有力町人(内山忠右衛門ら)の財政援助もあって、同じ鴻巣の杜の現在地を卜し、山を削り、八十八段の石段を構築し、神池と石橋を設け、棟梁に名工水間相模、彫刻に 口与鹿の師、中川吉兵衛を得て文化十五年(1818)、現在の社殿、境内の結構がなった。三年後には能舞台、七年後には本地堂が建立され、その後幕末に至る迄例祭は陣屋の差配により町方が出向斎行され、郡代、請史の参拝が恒例となった。又、芝郡代による、おかめ、アオソウの面の寄贈、神楽奨励によって、おかめ踊や獅子による湯立神事も行われ、4月17日の例祭日には町方からも参拝客が繰り出し大賑わいを呈したという。維新後は幕府の崩壊・神仏判然令施行等により、別当松泰寺も廃寺、本地堂には朝日稲荷宮、官公廟が祀られることになり、明治二年には、東照宮は町方より村方に移管明治四年には村社となり、暫く村人にも氏神として親しまれるようになったが、明治四十一年には地区内の山王・八幡・熊野三社が合祀され、大正十二年には郷社に昇格、昭和に入り戦後は銀幣社筆頭格として現在に至っている。その後昭和四十九年には旧清見村森 白山神社が合祀された。尚境内社として高山市始祖金森初代長近公を祀る金龍神社が祀られていて、市民の崇敬を集めている。



























ドライブで高山市へ行くことになり、参拝に伺う事が出来ました。
高台から市内を見下ろす事ができます(´ー`)
別名 松泰寺明治以前はと呼ばれていました。
飛騨東照宮は家康公が亡くなった数年後、金森重頼が早い段階で建造されており、貴重なのは堀と唐門の配置からこの時期の東照宮は珍しく、飛騨では唯一なのだそうです(゚ω゚)
御朱印は宮司さん不在でも、書き置きがあり頂けます。4種類置いてあります(゚ω゚)

二の鳥居です。

奥の階段上には本殿が見えます(゚ω゚)

狛犬(´ー`)

狛犬(´ー`)

案内です。外国人観光客が多い為か、英語での解説も。

東照宮を目指し、まず金龍神社を参拝します。

外観です

祀られているのは金森長近公です。長近公は福井県(大野市)・岐阜県(高山市)の城下町を気付いた武将です。信長の世話役から始まったそうです。

神池です。

階段がキツい~

着きました、東照宮本殿です。

狛犬(´ー`)

狛犬(´ー`)

案内板です

個人的に山宮は好きです(´ー`)

上からの見下ろしです。

柵があり、本殿の階段には上がれません。

飛騨東照宮・金龍神社 御朱印


東照宮 御朱印

金龍神社 御朱印

松泰寺 御朱印

飛騨東照宮で御朱印を頂きました。
社務所に書置きのケースがありましたので、4種類ありましたので頂きました。
飛騨東照宮摂社金龍神社の御朱印・飛騨東照宮摂社金龍神社の金字の御朱印・
飛騨東照宮が管理していた松泰寺の御朱印を頂きました。
飛騨東照宮の境内案内図です。本地堂→東照宮→金龍神社と回ります。
階段の上に飛騨東照宮の本殿が鎮座します。飛騨東照宮の本地堂です。
飛騨東照宮の本殿です。
御祭神は徳川家康公です。摂社金龍神社の拝殿です飛騨東照宮の神橋です。通行不可ですが…
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飛騨東照宮の御朱印

金龍神社の金字の御朱印

東照宮金龍神社の御朱印

松泰寺の御朱印

徳川家康公御遺訓

案内書

案内板

本地堂

東照宮拝殿

神橋と階段

神橋

金龍神社

岐阜県高山市にある飛騨東照宮を参拝しました。
飛騨藩主金森重頼が高山城内から遷座したのが創建で神仏習合の影響により
薬師如来が祀られるようになったことから「松泰寺」とも呼ばれていた。
その後神仏分離により現在の名称となっている。

朱鳥居

本地堂へ続く石段

本地堂

本地堂の説明書き

神門の奥に本殿

飛騨東照宮本殿の説明書き

摂社 金龍神社の神門

摂社 金龍神社

高山市街地の閑静なところにある東照宮です!
岐阜県には東照宮は多分ここだけです🙏
広い境内で、山の斜面に造営されているのでそこそこに体力使います(笑)
比較的楽にお参りするならば、金龍神社→東照宮本殿→本地堂の順がいいかと思います✨
ここ飛騨東照宮は元々高山城内にあった東照宮を、高山藩主 金森重頼公が現在の地に遷座したのが始まりです。神仏習合により薬師如来も祀られていたので、松泰寺と呼ばれていました。
その後、金龍神社が境内に摂社(ご祭神は金森長近公)が建立され、明治の神仏分離により現在の飛騨東照宮となりました。
この日は社務所が留守でしたので書き置きの御朱印をいただきました🙏

社標

参道

手水舎

境内案内図

本殿への階段
これはこれは…
私に対する挑戦ですね!試練ですね!
もちろん駆け上がりますよ🏃

摂社 金龍神社

金龍神社 由緒書き

本地堂 由緒書き

本地堂 扁額

すごい急勾配!

登った先に本殿があります✨
東照宮本殿 由緒書き

スタイリッシュな狛犬さん✨


東照宮本殿

朝日稲荷社

飛騨東照宮の御朱印です!
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