高野山真言宗袈裟山
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楽しみ方千光寺のお参りの記録一覧

377年飛騨の豪族・両面宿儺が開いたと伝わる。
両面宿儺は「日本書紀」では、飛騨で民衆を苦しめていた鬼、凶賊とされており大和朝廷の武振熊命により退治されたとされる。
一方で飛騨、美濃では龍退治の功績などから英雄とされている。
仏教寺院としては850年弘法大師十代弟子のひとり真如親王(弘法大師十大弟子の一人。嵯峨天皇の皇子)により真言密教の飛騨祈願所として開かれた。
1564年武田軍の飛騨攻めの兵火で焼失したが、1588年高山城主・金森長近により再建された。
1685年頃円空が滞在し、両面宿儺像などを彫ったといいそのうち63体の円空仏が現在に伝わっている。

本堂

本堂

本堂

庫裏

庫裏

瑜祇庭

宿儺堂


鐘楼

鐘楼

梵鐘

弁天堂

弁天堂

弁天堂


へんろ堂(薬師堂・大師堂)




愛宕社鎮守堂

愛宕社鎮守堂

愛宕社鎮守堂



極楽門



十王堂






【飛騨國 古刹巡り】
千光寺(せんこうじ)は、岐阜県高山市丹生川町下保にある高野山真言宗の寺院。山号は袈裟山。本尊は千手観世音菩薩。別名は「飛騨千光寺」。円空作の仏像が63体あり「円空仏の寺」として知られる。境内の五本杉は国の天然記念物。
寺伝によると、仁徳天皇65年(377年)、両面宿儺(りょうめんすくな)による開山。両面宿儺は『日本書紀』に登場する、飛騨國に現れ民衆を苦しめた異形の人で、朝廷が派遣した武振熊命(たけふるくまのみこと)により退治されたとされる。奈良時代の720年に泰澄により白山神社が開かれ、平安時代の850年に真如親王(弘法大師十大弟子の一人で、嵯峨天皇皇太子)が開基している。
戦国時代の天文年間(1532年~1555年)に兵火で焼失。1546年に桜洞城主・三木直頼により再建されるが、1564年の武田信玄の飛騨攻めにより再び焼失。1588年に金森長近により再建されている。江戸時代の1685年頃、円空が当寺に滞在し、両面宿儺像など多数の仏像を彫ったという。
当寺は、JR高山本線・高山駅の北東6kmあまりの山の中にある。山の麓の公道からくねくね山道を2km登ると伽藍のあるエリアに辿り着く。どこからどこまでが境内地かは分からないが、伽藍周りは割とコンパクトに集まっていて見て廻りやすい。最大の特徴は、円空作の仏像を中心に展示している<円空仏寺宝館>があることで、入館したところお寺の方がマンツーマンで詳しい説明をしていただけた。
今回は、飛騨高山の人気観光地であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外には参拝者は特に見掛けなかった。

山裾にある当寺入口。ここから2kmほど山道を登って行く。

下の段の駐車場近くにある、伽藍入口の<極楽門>。山の緑とのコントラストが美しい。

極楽門左側の<吽形仁王像>。

極楽門左側の<阿形仁王像>。どことなくユーモラスで親近感が湧くお姿。

極楽門の近くにある<十王堂>。

十王堂の中にある<輪廻地獄極楽絵図>。横に長い大きな絵画で、写真は閻魔大王のお裁きの場面。

極楽門をくぐると、伽藍への階段が伸びている。

階段を登り切ったところからの眺め。

階段を登り切ったところにある石碑。

石碑の後ろにある<鐘楼>。

いよいよ本堂に向かう。

<本堂>正面。五色の寺院幕が見た目を引き締めている。

本堂の右側にある<瑜祇庭(ゆぎてい)>。小さいが素晴らしい雰囲気。

瑜祇庭の前にある<宝篋印塔>。

本堂の左手(西側)にある<宿儺(すくな)堂>。

宿儺堂内にある<石造両面宿儺像>。日本書紀にも登場する怪物にして飛騨國の英雄、そして当寺の開山と言われる。

宿儺堂の左手にある庭。中央は弘法大師像。

さらに左手に進むと、小高い場所に<辨天堂>がある。

ふたたび本堂近くに戻って、本堂への階段下にある<摩尼車>。ブータン王国から来たものとのこと。

本堂下から東方向に進むと、横に非常に長い<庫裏>がある。御朱印はこちら。

さらに東方向に進むと、突き当りにある<円空仏寺宝館>。

<円空仏寺宝館>入口。有料拝観だが、見応え十分で、たまたまお寺の方のマンツーマン解説付き。感謝のしるしに授与品をいろいろ買ってみた。(o^―^o)

寺宝館近くから見える景色。雄大な景色で、かつて大いに繁栄したのも頷ける。(^▽^)/

ちょい前投稿は岐阜県飛騨高山編。
令和4年8月、高山市の高野山真言宗千光寺。
約千六百年前、飛騨の豪族宿儺(すくな)の開創と伝わる。日本書紀には両面四手の怪物と記されるが、飛騨地方では「スクナ様」として信仰の対象となっている。
本尊は十一面千手千眼観音。樹齢千二百年の5本杉は国の天然記念物。
宿儺堂や寺宝館にて両面宿儺像を拝むことができます。
御朱印は「千手観音」と「宿儺尊」をいただきました。

案内図

宿儺堂や寺宝館の開館日にご注意ください

5本杉へは途中の駐車場から徒歩3分👣

樹齢千二百年!🌲🌲🌲🌲🌲

仁王門(極楽門)は450年ぶりの再建

仁王門の天井絵

十王堂

地獄極楽絵図

参道

本堂

宿儺堂

両面宿儺像

宿儺堂の公開日以外は小窓から拝みます

弁天堂

御朱印は庫裏にて。

円空仏寺宝館。
他に人がおらず自分ひとりに解説してくれました😄


境内のポスターより。円空作の両面宿儺。

御朱印です

秘仏観世音菩薩 御開帳大法会に行ってきました。
7年に一度の秘仏御開帳です❤
今年は境内に金剛堂も完成したため、
落慶法要も行われました。
秘仏は、本堂での法要のあと、住職が捧げ持って
金剛堂へ運ばれました。
この時はまだ、白い布が被せられていて、
見ることができませんでしたが、
あとで、間近で拝観できました。
秘仏は、御開帳期間中(11/3まで)は、金剛堂にて
拝観できると思います。

本堂から秘仏を金剛堂へ運ぶ行列。

秘仏は金剛堂の大日如来さまの前に
置かれました。
とても小さくて1寸8分とかなんとか・・・。

今回の記念に作られたゴールドの御朱印帳です。

金剛堂のご本尊である大日如来さまの御朱印。
こちらもゴールド✨

裏表紙は、本堂のあたりから見える景色。
雲海が広がり、その奥には御嶽山。


#千光寺
ご本尊は千手観音。本堂・宿儺堂・寺宝館に両面スクナの像を計4躰、祀る。
#両面宿儺 #宿儺
日本書紀では単にスクナ。
それによると、後頭部にも顔があり、4本の腕で弓矢と2本の剣を同時に操った。飛騨に巣食い人々から略奪を働いたが、第16代・仁徳天皇の命でタケフルクマの命が出動し、誅殺したと。
ちなみに同じ高山市に鎮座する桜山八幡宮は、そのタケフルクマの命がスクナを征伐するにあたり、応神天皇を祀って戦勝祈願をしたのが始まりと伝わる。なお応神天皇は仁徳天皇の父で先帝。
日本書紀では悪役のスクナだが、当の飛騨では愛されキャラ。高山駅に近い土産屋で、宿儺カボチャという野菜が売られているのを見た。
地元の信仰だと、彼は山がちな飛騨の大地を開拓し、人々を導いた英雄として認知されているそうだ。この地を治めた豪族という伝承もあるらしい。
ところで、パンフによると宿儺堂に祀られているスクナの像は、4本の腕のうち2本で、金剛界と胎蔵界を表わす印を結んでいるそうだ。確認していないが、写真の御朱印の梵字が金剛界大日如来のバンと胎蔵界大日如来のアなのは、そのためだと想像する。
また、本堂の像は現在、寺宝館で特別公開中なのだが、本堂では毎日「南無 両面宿儺」と唱えて祈っていたとある。真言とは書かれていないが、彼の真言みたいなものと理解してよかろう。


#千光寺
ご本尊は千手観音。
寺院に伝わる書物には、第16代・仁徳天皇の時代に両面スクナによって開山されたと書かれているそうだ。仁徳天皇は大仙古墳の被葬者とされるから、さすがにこれは伝説の域を出ないだろう。
現在はスクナも信仰の対象で、パンフによれば彼の像は千光寺の本堂と宿儺堂に1躰ずつと、円空仏寺宝館に2躰の計4躰、安置されている。
彼に対する信仰は千光寺の発祥である可能性が高く、確実に言える範囲に限っても西暦1600年よりも前にさかのぼれるそうだ。
円空仏寺宝館はその名の通り、主に円空という仏師の彫った像を保存するための施設で、現在は63躰の円空仏を安置する。ここにいる2躰のスクナのうち1躰も円空の作だ。
一般的な仏像は曲線的でリアルだが、それに比べて円空仏は全体的に、無数の多角形を繋ぎ合わせた多面体みたいな感じ。素朴という表現が一番しっくりくる。が、彼が生きたのは江戸時代だそう。当時の人々の目には相当に前衛的に映ったものと想像する。よく受け入れられたものだ。
ちなみに円空仏のスクナ像からは、お不動さまに近い印象を受ける。強くて頼りになり、それでいて親しみが持てる親分・アニキ分、といったところだ。


日付が入っていないですが恐らく1996年にお参りです
印がどれも面白いですが
宝印のキリクがコンパクトでお気に入りですw

印
飛騨卅三観音霊場第三十三番
十六葉菊 キリク(千手観音種子)
円空仏の御寺
飛騨国袈裟山千光寺
墨
大悲閣
飛騨? 千光寺
岐阜県のおすすめ2選❄️
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