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風神神社ではいただけません
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風神神社について

風難防除、大気(空気)全体を支配する神様。
<例祭日>
例大祭:8月31日(二百十日前日)
 風穴奉幣・浦安舞・安岐太鼓
 風日祈の幣帛(みてぐら)を風穴の奉納して、その年の台風の予言を占う。
前夜祭:8月30日
 浦安舞・安岐太鼓
二百十日祭:9月10日
 ※立秋から数えて二百十日頃は台風が多く、農家にとっての三大厄日のひとつ。

例祭のときだけ御朱印がいただけるようです。

おすすめの投稿

テラヨリーモ・ジンジャスキー
テラヨリーモ・ジンジャスキー
2018年08月24日(金)
727投稿

宇宙間の大気(空気)全体を支配する神様。
昭和の初めごろまでは女人禁制でした。
伊勢湾台風の時、こちらにお参りしていた人たちは被災しなかったと言われ、より一層信仰が厚くなったとのことです。

前から行きたかった神社で、参拝できて本当に嬉しかったです。
山の中なので、蝉、鳥、川、風、葉擦れの音がよく聞こえます。
とにかく最高、気持ちよくて、いるだけで幸せでした。

車で神社まで行けますが、細い林道で1台通るので精一杯。
舗装も不安定で、一歩間違うと崖下に転落です。
とにかく、往復路で対向車が来ないことを真剣に祈りながら行きました。

風神神社の本殿

<拝殿>いつまでも眺めていたい、美しい!

風神神社の鳥居

<鳥居と拝殿>

風神神社の手水

<手水舎>

風神神社の建物その他

拝殿の左の方に通路があり、階段を降りていくと本殿(風穴)があります。

風神神社の本殿

<本殿と風穴>垣があってこれ以上近づけません。風穴には扉がついていて例大祭の時だけ開かれます。

風神神社の本殿

<拝殿裏>壁はふさがっていないので、お参りする人はまっすぐ本殿が見えます。

風神神社の歴史

<由緒書>

風神神社のお祭り

<例祭日の案内>

風神神社の建物その他

絵馬やストラップは下流にあるます釣り場で。

風神神社の周辺

水がきれいですね。ここが下流のます釣り場で、この先細い参道を進みます。

風神神社の仏像

参道沿い3キロにわたり、全部で三十三体の石像があります。こちらは千手観音でしょうか。
江戸時代、参詣者の安全を祈って建立されたそうです。

風神神社の建物その他

対向車来るなーと祈りながら参道を進んでようやく見える神社にホッとします。
境内は広く車を止めるには十分です。

風神神社の周辺

神社の下を流れる川もとてもきれい。川に降りてみたくなりますが、熊、蛇、マダニなどに注意したほうがいいですね。

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歴史

平安の頃、奈良の龍田大社の分霊を勧請したと言われる。

本殿下の巨岩に風穴があり一年中風が出ている。
通常かたく扉が閉められ近づくこともできないが、年に一度例祭のときだけ開けられ、安岐太鼓・浦安舞が奉納される。
昭和の初めごろまで女人禁制で、例祭のときには見張りがつくほど厳しかった。
昭和34年伊勢湾台風の際、この神社にお参りしていた人たちは被災しなかったと言われより一層信仰が厚く広まった。

「昔々、ある女が川沿いにこの山奥へ登って大穴の空いた巨大な岩を見付けました。
近くへ寄ってみると今まで良い天気だった空が瞬く間に暗雲に覆われ激しい風雨に見舞われたので大急ぎで帰ってきました。
その 10 日ほど後の快晴の日に再びその場所へ登ってみると、今度もまた以前のような風雨に見舞われ大地も鳴動し始めたのでとても驚いて帰ってきました。
それから逢う人ごとにその不思議な話をしていたので人々は恐れてその山へ入る者がいなくなりました。
ある日、どこからかやって来た老人がこの話を聞いて山中に入って行きました。
そこへ 37 日間こもって里へ下りると「あの場所には級長津彦神が居られる。うやうやしく尊崇せよ。女人は決して近寄るでない。」とだけ言い残してまたどこかへ立ち去ってしまいました。それ以来今に至っても女人の参拝が許されていません。
元和年間 (1615-1624年/江戸初期) の頃になると、信者がその年の豊作を祈願すると霊験あらたかな神徳があると広まったために人々が争って参拝するようになりました。
それ以来、年々参拝者の数も増え現在のようになりました。 」
(阿木歴史資料による)安岐郷誌より

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風神神社の基本情報

住所岐阜県中津川市阿木字川入5740番地の1
行き方

恵那ICから車で40分
中津川ICから車で40分

明知鉄道「阿木駅」から車で25分
JR恵那駅から車で40分
JR中津川駅から車で50分

アクセスを詳しく見る
名称風神神社
読み方かぜかみじんじゃ

詳細情報

ご祭神《主》志那都比古神,志那都比売神
ご由緒

平安の頃、奈良の龍田大社の分霊を勧請したと言われる。

本殿下の巨岩に風穴があり一年中風が出ている。
通常かたく扉が閉められ近づくこともできないが、年に一度例祭のときだけ開けられ、安岐太鼓・浦安舞が奉納される。
昭和の初めごろまで女人禁制で、例祭のときには見張りがつくほど厳しかった。
昭和34年伊勢湾台風の際、この神社にお参りしていた人たちは被災しなかったと言われより一層信仰が厚く広まった。

「昔々、ある女が川沿いにこの山奥へ登って大穴の空いた巨大な岩を見付けました。
近くへ寄ってみると今まで良い天気だった空が瞬く間に暗雲に覆われ激しい風雨に見舞われたので大急ぎで帰ってきました。
その 10 日ほど後の快晴の日に再びその場所へ登ってみると、今度もまた以前のような風雨に見舞われ大地も鳴動し始めたのでとても驚いて帰ってきました。
それから逢う人ごとにその不思議な話をしていたので人々は恐れてその山へ入る者がいなくなりました。
ある日、どこからかやって来た老人がこの話を聞いて山中に入って行きました。
そこへ 37 日間こもって里へ下りると「あの場所には級長津彦神が居られる。うやうやしく尊崇せよ。女人は決して近寄るでない。」とだけ言い残してまたどこかへ立ち去ってしまいました。それ以来今に至っても女人の参拝が許されていません。
元和年間 (1615-1624年/江戸初期) の頃になると、信者がその年の豊作を祈願すると霊験あらたかな神徳があると広まったために人々が争って参拝するようになりました。
それ以来、年々参拝者の数も増え現在のようになりました。 」
(阿木歴史資料による)安岐郷誌より

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