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新長谷寺ではいただけません
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新長谷寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月02日(土)
参拝:2024年10月吉日
関市長谷寺町にある新長谷寺(しんちょうこくじ)にお参りしました。
十一面観世音菩薩を本尊とする真言宗智山派の寺院で、美濃新四国第22番、美濃三十三観音霊場第33番、中濃八十八霊場第88番、美濃七福神毘沙門天、寿老人の札所となっています。
吉田(きった)観音としての別名もあり、観音さまと親しまれています。境内はとても広く、本堂、鎮守道、薬師堂、阿弥陀堂、釈迦堂、客殿など国の重要文化財も多く、美濃の法隆寺と言われるほどの文化財の宝庫で、茶褐色の建物は圧巻です。境内はいたる所に『撮影禁止』との案内があり、道路からの1枚の写真のみです。
歴史は、1222年、後堀河天皇の勅令により、後認上人が開山したのが始まりとされ、伝承によると本尊は、後認上人が長谷寺(奈良県桜井市)で修行していた際、霊夢にお告げがありそれにより獲得することができたと伝えられています。以来、天皇の勅願寺、国家鎮護の道場として寺運が隆盛し七堂伽藍を整備した大寺となりました。1300年と1457年に火災に遭いますが、その都度再興されました。
十一面観世音菩薩を本尊とする真言宗智山派の寺院で、美濃新四国第22番、美濃三十三観音霊場第33番、中濃八十八霊場第88番、美濃七福神毘沙門天、寿老人の札所となっています。
吉田(きった)観音としての別名もあり、観音さまと親しまれています。境内はとても広く、本堂、鎮守道、薬師堂、阿弥陀堂、釈迦堂、客殿など国の重要文化財も多く、美濃の法隆寺と言われるほどの文化財の宝庫で、茶褐色の建物は圧巻です。境内はいたる所に『撮影禁止』との案内があり、道路からの1枚の写真のみです。
歴史は、1222年、後堀河天皇の勅令により、後認上人が開山したのが始まりとされ、伝承によると本尊は、後認上人が長谷寺(奈良県桜井市)で修行していた際、霊夢にお告げがありそれにより獲得することができたと伝えられています。以来、天皇の勅願寺、国家鎮護の道場として寺運が隆盛し七堂伽藍を整備した大寺となりました。1300年と1457年に火災に遭いますが、その都度再興されました。
すてき
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keeko165投稿
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