はちまんじんじゃ
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2017年12月10日(日)
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清泰寺のあと、歩いて参拝に来ました。
後日母が、「結婚する前におばあちゃんと花嫁衣装の展示会を見に来た事がある」と話してくれました。
母が結婚する前なので40年以上前の事ですが、母から思い出話を聞く事が出来たので行ってよかったと思いました。
御朱印は頂けると思います。
たまたまどなたもいらっしゃらない様子だったので、また来ればいいかと思ってこの日は声をかけず帰りました。
参道がまっすぐで拝殿まで遠いです。
拝殿。
賽銭箱の前で振り返ったら、一の鳥居が見えないくらい遠かったです。
本殿左側には境内社がたくさんあります。
脇からの参道に建つ鳥居。
清泰寺から歩いてくるとき一番近い参道。途中、清泰寺の建物の裏側も見え隠れします。この参道は拝殿のすぐ前まで伸びていました。
名称 | 八幡神社 |
---|---|
読み方 | はちまんじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0575-33-0463 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇 |
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本殿 | 流造 |
体験 | 重要文化財祭り |
Wikipediaからの引用
概要 | 八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岐阜県美濃市にある八幡神社である。上有知藩小倉山城城下町の産土神とされている。 |
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歴史 | 由緒[編集] 創建時期は不明。一説では平安時代末期、美濃源氏一族の上有知氏が氏神として創建したという。土岐氏累代の崇敬篤く、永徳2年(1382年)に土岐頼康よる社頭の造営があった[1]。その後、天正16年(1588年)に領主佐藤幸政による社領寄進があり[2]、慶長10年(1605年)、飛騨高山藩主であった金森長近が養子の金森可重に高山城を譲り、小倉山城に隠居する際に、上有知の産土神とされた。 ^ 『神社名鑑』。 ^ 『神道大辞典』。 |
アクセス | 交通[編集] 鉄道 長良川鉄道美濃市駅より約1km。 バス 岐阜バス「美濃市役所前」下車。 |
行事 | 神事[編集] 美濃まつり 4月第2土・日曜日に開催される当神社の例祭で、かつては「上有知まつり」と呼称していた。6輌の軕(山車)(江戸時代から明治時代の製作。いずれも岐阜県の重要有形民俗文化財)[1]が曳かれる。美濃和紙で花をあしらった花みこしや国の選択無形民俗文化財である仁輪加[2](平成8年(1996年)11月28日指定)が行われる。平成9年8月27日に花みこしを含めて美濃市の無形民俗文化財に指定された。 ^ “祭礼やま”. 岐阜県. 2013年5月14日閲覧。 ^ “美濃流し仁輪加”. 美濃市. 2013年4月24日閲覧。 |
引用元情報 | 「八幡神社 (美濃市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%BE%8E%E6%BF%83%E5%B8%82%29&oldid=97899700 |
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最終更新:2024年01月01日(月)
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