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弘誓寺ではいただけません
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弘誓寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月03日(木)
参拝:2024年9月吉日
山県市にある弘誓寺(ぐせいじ)にお参りしました。
美濃新四国 71番札所、美濃三十三観音霊場 20番札所です。
聖観音を御本尊とし、臨済宗妙心寺派の寺院。
山の麓にあり、本堂までは結構な坂道、階段を登ります。3年前に美濃三十三観音霊場巡りをして参拝したときは、あまり「しんどい」とは思わず、スタコラサッサ・・でしたが、それから3年、何があったのか「あ~しんど」でした😔トホホですが、暑さの中でも凜とした空気でシャキッとして参拝して良かったと思いました。
歴史は、もと方県郡安食村にあつた聖徳太子作と伝わる聖観世音菩薩を、土岐成頼が、文政2年(1445年)に現在の地へ移し、天台宗の寺院として開かれ』、その後斎藤道三により焼かれたものの本尊の聖観世音菩薩は無事で、観音像を祀るための草庵が結ばれ、寛文2年(1649年)に月庭和尚により再興され、臨済宗妙心寺派の寺院となり現在に至っています。
美濃新四国 71番札所、美濃三十三観音霊場 20番札所です。
聖観音を御本尊とし、臨済宗妙心寺派の寺院。
山の麓にあり、本堂までは結構な坂道、階段を登ります。3年前に美濃三十三観音霊場巡りをして参拝したときは、あまり「しんどい」とは思わず、スタコラサッサ・・でしたが、それから3年、何があったのか「あ~しんど」でした😔トホホですが、暑さの中でも凜とした空気でシャキッとして参拝して良かったと思いました。
歴史は、もと方県郡安食村にあつた聖徳太子作と伝わる聖観世音菩薩を、土岐成頼が、文政2年(1445年)に現在の地へ移し、天台宗の寺院として開かれ』、その後斎藤道三により焼かれたものの本尊の聖観世音菩薩は無事で、観音像を祀るための草庵が結ばれ、寛文2年(1649年)に月庭和尚により再興され、臨済宗妙心寺派の寺院となり現在に至っています。
ここからスタート! 左側から登りました 右側は多分階段がない坂道だと思います
チョット暗め、ひんやり感があり栗、ドングリなどが落ちていました 熊が出てきたらどうしょう😰 と一瞬びびりましたが、ないない! それはない!と笑いながら登りました
中間地点でほっとひと息 本堂が見えてあと少し
中間地点にある池 金魚?が仲良く泳いでいます
中間地点に手水舎 水がポタポタと落ちていました
本堂
薬師堂・十王堂
鐘楼堂
納経所 左側に鐘楼がつり下がっていました
納経所で書き置きの御朱印をいただきました
すてき
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keeko165投稿
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