はちまんじんじゃ(むげはちまんぐう)
八幡神社(武芸八幡宮)のお参りの記録一覧
次に向かったのは関市です。何か馴染み深いです。Sekkyだからね(笑)最初は武芸八幡宮です。創建は非常に古く、養老元年(717)だそうです。
駐車場の横に建物がありました。拝殿かと思ったら御旅所でした。
狛犬さん。
ちょっと形が変わっていて、カクカクしてます。
一の鳥居かと思ったら、ニの鳥居でした。一の鳥居は駐車場からかなり離れているようなので諦めました。
ここからでも本殿まではかなり距離があるようです。車で行けそうですが、せっかく駐車場に車を駐めたので歩いて行くことにしました。
そうしたらすぐ参道になりました。ここからは車では行けません。
太鼓橋です。苔がいい感じで風情があります。
下は本当に川が流れていて、人は手前の橋を渡ります。
橋を渡ったらありました。下馬標といって「これより奥に行くには馬や駕篭から降りて歩きなさい」という標識みたいなものです。信長公が建立されたそうで、ビックリです。
随神門です。ということは・・・
やはりおみえになりました。
随神の方たちです。格子が大きくて一部しか撮れませんでした。
参道がずーっと続いています。
参道の横は小川がずーっと流れています。夏でも涼しそう。
途中に御神木の大杉がありました。
樹齢約千年、樹高38mの立派な木です。
高〜いなあ‼
ようやくゴールが見えてきました。
手水舎です。普通と違うのは・・・
湧き水が絶えず流れていること。
水が溢れ出ていました。時々コポン、コポンといい音がします。
拝殿です。観応2年(1351)再興とされています。
こちらでお参りしました。
祝詞があったので、周りに誰もいないことを確認して、読み始めましたが、字が小さいし、カミカミになったので途中で諦めました。
御朱印は書置きのセルフになっていました。監視カメラが設置されていました。
拝殿の中です。
明治時代の絵やら、
百人一首の絵がズラーッと掲げてありました。古い神社によくありますが、何か気持ちが落ち着きます。
奥に本殿がチラッと見えました。
太鼓楼です。元は鐘楼で、大聖寺という立派なお寺がありましたが、明治の神仏分離令によって取り壊されてしまいました。その名残りです。
摂社、境内社が並んでいました。
遥拝所もありました。
残り時間も僅か、武芸八幡宮にお参りさせていただきました!
社務所が駐車場のすぐ前にあって閉まっていたので、御朱印は次回でお参りだけしていこうと思いましたが…
参道ながっ!
ゴールが見えない!
…これは恒例のお参りダッシュの報せ!
俄然燃えてきました🔥
ゴールまで約1.3キロ、がんばりました!
まぁ足がガックガクですけど(笑)
帰りも当然走りましたよ!
車に着く頃には半分力尽きてましたが(笑)
私事はこんなところで…
ここ武芸八幡宮は八幡山の前に鎮座し、織田信長公も毎年10月15日に代参を送っていたそうです。
ここには元々大聖寺というそれは立派なお寺もあったそうですが、明治の神仏分離令により、大聖寺は取り壊されてしまったのだそうです。
至るところに往時の名残が見られます。
現在も残っていたらと思うと惜しまれてなりませんね…
自然に囲まれてたくさんエネルギーを充電できました!
二の鳥居
一の鳥居は撮り忘れました💦
太鼓橋
下馬標
ここより先は馬を降りて歩きなさいという標識なんだそうです。
社伝によると信長公が建立したといわれているそうです。
随神門
参道
参道だけで約1.3キロあります💦
このような末社やお寺のお堂がたくさんあったということです。
天然記念物の大杉
上が見えない💦
やっとゴールが見えて来ました!
手水舎
拝殿
長かった!
拝殿内
禊祓詞
難しい!
カミカミでそこそこ大きな声で読み上げました!
だって一人だし!誰もいないから!(笑)
鐘楼
本殿
末社
遙拝所
武芸八幡宮の御朱印です!
見ての通り自分で日付を入れてください!
私はあえてこのままで(笑)
その後、こちらを管理されている橿森神社の宮司様に日付を入れていただきました✨
凄すぎます。
御旅社です。
ここで気づくべきでした。
本殿案内サイン
神橋の向こうに隋神門
先ほどのサインから200mくらいでしょうか
拝殿です。隋神門からかなりあります。
禊の祓を唱えろと。
書置きありました。
今年は織田信長が岐阜城に入城し、岐阜を「岐阜」と名付けて450年の節目。信長もここへお参りしたかと思うと色々想像が膨らみます。
春の花馬祭り以外で来る事はめったにないので、大矢田神社に行ったついでに寄りました。拝殿まで来たのはたぶん30年ぶり!以前よりも苔や紅葉が鮮やかできれいに見えました。
御朱印は書き置きのものが頂けます。
パンフレットは、合併前の「武芸川町」と「関市」の両方置いてありました。
武芸川町のパンフレットの表紙は「信長と八幡宮」、関市になってからの表紙は「信長と武芸八幡宮」に変わっていました。
合併すると各地の八幡神社も増えるので「武芸八幡宮」を大きく表記したのでしょうか。
そんなどうでもいい所が気になってしまいます。
<太鼓橋>手前に駐車場がありました。 奥に隋神門が見えます。
1570年頃、信長が立てたと言われる下馬標
左側は境内社の琴平神社。
まっすぐなのに拝殿が全然見えない、遠い(笑)
でもまっすぐ伸びた参道にまっすぐ伸びた杉を眺めるこの景色はとても好きです。
参道に沿って流れる小川のせせらぎも気持ちがよかったです。
ようやく石段と拝殿が見えてきました。
<手水舎>真ん中からどんどん水がわき出ています、凄い勢いで周囲にゴボゴボ音が聞こえています。その中で、あふれ出た水が落ちる音も聞こえるのですが、それが水琴窟のように澄んだ音が聞こえていて感動でした。私は水辺が大好きなので何度も行ったり来たりしてきれいな音を楽しみました。
拝殿は保護のためかフィルムが張ってありました。
本殿と末社
<鐘楼>昔は十二坊を備えた大聖寺という立派な寺があったそうで、この鐘楼だけ残っているそうです。もちろん鐘はありません。あぁそれにしても苔がふかふかできれい!
<拝殿>三十六歌仙絵というのがいっぱいありました。全然知識のない私は「伊勢」と「紀貫之」しか読めませんでした。
御朱印とパンフレット
<御旅所>ここが花馬祭りで一番賑わう所。もう一度見たいお祭りです。左に見える道路を進むと太鼓橋前の駐車場につきます。
中国っぽい狛犬。
御朱印は書き置きです。
岐阜城の鬼門にある事から織田信長公の崇敬を集めていた神社。
信長公に所縁とある神社ならば参拝せねば!!
参拝した一週間前に例祭『花馬祭り』があったみたいです。
参道は大きな杉並木でとても静かで居心地のいい所。パワーを頂けるような気持になれます。
御旅所(おたびしょ《いわば神様の休憩所》)
太鼓橋、その奥に隋神門(ずいじんもん)。その手前に…
織田信長公建立と伝わる下馬標
長い杉並木の参道の大杉(県天然記念物)
拝殿内部。奉納された額が多くあります。
拝殿と本殿
太鼓楼
子供のころ何度か御旅所で行われる花馬祭りに連れて行ってもらいました。
参道をかけてくる馬の蹄の音が腹に響いて迫力がありました。
馬が境内に入ったとたん、集まった人が一斉に馬に向かって走り出し、背中の花飾りを奪い合います。
毎年けが人が出るので近くに救急車も待機するほどの激しさです。
花飾りは細く裂いた竹に和紙で作った桜が巻きつけてありとても鮮やか。
手に入れた飾りは、竹を輪にして屋根に上げると落雷防止や家内安全と言われています。
久しぶりに近くを通ったので御旅所で休憩しました。
拝殿などはここから800m奥にあります。
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