いとしろたいしどう
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石徹白大師堂ではいただけません
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石徹白大師堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月09日(火)
参拝:2023年5月吉日
今回は岐阜県の寺院巡りです。1寺目は、郡上市白鳥町の石徹白(いとしろ)地区に在る石徹白大師堂です。(未登録だったため登録しました)東海北陸道・白鳥ICを下りて国道156号線を北へ向かい、途中を左に折れ、結構な峠道を越えると石徹白地区です。全面舗装路ですし、峠辺りにスキー場がありますので、今では年中行く事が出来ます。(若い頃はスキーヤーだったので雪道は慣れたものでしたが、今は雪道にビビッて冬は行けません。)
真宗大谷派で、本尊は虚空蔵菩薩。
この本尊・銅造虚空蔵菩薩坐像は重文です。
石徹白大師堂は、無住で、大師講の方々で管理されており、拝観に際しては事前予約が必要です。(ネット検索すれば講元のお名前・電話番号が出てきます。)但し、かなり雪深い所であり、11月~3月は積雪のため対応頂けないようです。(積雪が2m以上で行くのが難儀。)
白山を深く信仰していた奥州の藤原秀衡が、1184年に石徹白の白山中居神社に虚空蔵菩薩像を奉納し、この像を守るために上村十二人衆と称する家来をこの地に派遣した。その後、子孫の方々は、この像を一揆等の争乱や火災、盗難から守り続けた。明治時代の神仏分離の際に、白山中居神社にあった仏像仏具が破却されそうになったため、石徹白の村人はお堂(大師堂)を建てて神社から移し、その際に大師講という講を作り、現在も守り続けています。
橋の手前のスペースに3台位駐車できます。着いたら電話を掛けてくれとの事でしたので、電話をしたら直ぐにいらっしゃいました。挨拶後に橋を渡り、石段を上がると左側に最初のお堂の大師堂、鍵を開けて頂きお堂の中に。外陣と内陣の境に格子戸がありますが、内陣の中は明るくて外陣からでも割とよく見えます。真ん中の厨子には白山開山の泰澄大師像、胎内銘から1256年に造られた像ですが、後世の補修と彩色が惜しいです。大師の左右には大師の開山をサポートした臥の行者(ふせのぎょうじゃ)像と浄定行者(きよさだぎょうじゃ)像。一番左の厨子にも36歳時の自彫の泰澄大師像。右側の厨子には大師の母・伊野姫像、山王像、地蔵菩薩半跏像や白山の祠から麓へ降ろしたもの安置されていました。
大師堂を出て石段の上の本堂へと思いきや、本堂の真裏に収蔵庫があり、更に石段を上がって収蔵庫へ。頑丈な扉を開けて頂き、庫内へ案内頂きました。真ん中に本尊の銅造虚空蔵菩薩坐像。平安時代末期~鎌倉時代初期の作で、高さは約87cmですが、がっしりとしていて大きく感じます。正直、銅造とは思えない緻密な造りに驚きでした。天蓋や光背、台座まで当初のものらしく、そこまで残っているのは稀かと。地元の方々の並々ならぬ信仰心に感服しました。他には金銅金剛童子立像や鰐口。本尊含めて全てガラスケース内に収められていました。その関係で写真を撮影する際にガラスの反射があるため、収蔵庫の扉を閉めて撮らせて頂きました。拝観料は(いつも悩む)志納でした。
橋を渡った所に教育委員会が建てた文化財の看板があって、そこに県指定文化財の薬師如来坐像と記載がありましたのでお聞きした所、公開はしていないとの事でした。
勉強不足のため白山中居神社の事を知らず、その場所をお聞きして、予定はしていませんでしたが向かう事にしました。
真宗大谷派で、本尊は虚空蔵菩薩。
この本尊・銅造虚空蔵菩薩坐像は重文です。
石徹白大師堂は、無住で、大師講の方々で管理されており、拝観に際しては事前予約が必要です。(ネット検索すれば講元のお名前・電話番号が出てきます。)但し、かなり雪深い所であり、11月~3月は積雪のため対応頂けないようです。(積雪が2m以上で行くのが難儀。)
白山を深く信仰していた奥州の藤原秀衡が、1184年に石徹白の白山中居神社に虚空蔵菩薩像を奉納し、この像を守るために上村十二人衆と称する家来をこの地に派遣した。その後、子孫の方々は、この像を一揆等の争乱や火災、盗難から守り続けた。明治時代の神仏分離の際に、白山中居神社にあった仏像仏具が破却されそうになったため、石徹白の村人はお堂(大師堂)を建てて神社から移し、その際に大師講という講を作り、現在も守り続けています。
橋の手前のスペースに3台位駐車できます。着いたら電話を掛けてくれとの事でしたので、電話をしたら直ぐにいらっしゃいました。挨拶後に橋を渡り、石段を上がると左側に最初のお堂の大師堂、鍵を開けて頂きお堂の中に。外陣と内陣の境に格子戸がありますが、内陣の中は明るくて外陣からでも割とよく見えます。真ん中の厨子には白山開山の泰澄大師像、胎内銘から1256年に造られた像ですが、後世の補修と彩色が惜しいです。大師の左右には大師の開山をサポートした臥の行者(ふせのぎょうじゃ)像と浄定行者(きよさだぎょうじゃ)像。一番左の厨子にも36歳時の自彫の泰澄大師像。右側の厨子には大師の母・伊野姫像、山王像、地蔵菩薩半跏像や白山の祠から麓へ降ろしたもの安置されていました。
大師堂を出て石段の上の本堂へと思いきや、本堂の真裏に収蔵庫があり、更に石段を上がって収蔵庫へ。頑丈な扉を開けて頂き、庫内へ案内頂きました。真ん中に本尊の銅造虚空蔵菩薩坐像。平安時代末期~鎌倉時代初期の作で、高さは約87cmですが、がっしりとしていて大きく感じます。正直、銅造とは思えない緻密な造りに驚きでした。天蓋や光背、台座まで当初のものらしく、そこまで残っているのは稀かと。地元の方々の並々ならぬ信仰心に感服しました。他には金銅金剛童子立像や鰐口。本尊含めて全てガラスケース内に収められていました。その関係で写真を撮影する際にガラスの反射があるため、収蔵庫の扉を閉めて撮らせて頂きました。拝観料は(いつも悩む)志納でした。
橋を渡った所に教育委員会が建てた文化財の看板があって、そこに県指定文化財の薬師如来坐像と記載がありましたのでお聞きした所、公開はしていないとの事でした。
勉強不足のため白山中居神社の事を知らず、その場所をお聞きして、予定はしていませんでしたが向かう事にしました。
大師というと一般的には弘法大師だが、こちらは泰澄大師
鐘楼
大師堂
泰澄大師像、臥の行者像、浄定行者像(市指定文化財)
本堂
収蔵庫
本尊・虚空蔵菩薩坐像(重文)
金銅金剛童子立像(県指定文化財)
右上は織田信長寄進の鰐口(県指定文化財)
すてき
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nomuten970投稿
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