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白山中居神社ではいただけません
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白山中居神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月11日(木)
参拝:2023年5月吉日
石徹白大師堂を拝観後に折角ですから参拝しました。郡上市白鳥町の石徹白地区に在る白山中居神社です。「はくさんなかいじんじゃ」ではなく「はくさんちゅうきょじんじゃ」と読みます。
祭神は、伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)、伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)、菊理媛大神(ククリヒメノオオカミ)。
西暦83年に吉備武彦命が国家鎮護のために伊邪那岐大神を祀ったのが始まりとされます。その後の養老年間(717~24年)に僧・泰澄が白山を開くためにこの地に来て、社殿を修復し、社域を拡げた。歴代の天皇や公家、奥州藤原氏や信長、秀吉、家康の崇敬を受けた。1860年には神祇管領長上の卜部良義より大神宮の号を授かったとの事です。
先の石徹白大師堂から北(奥)へ約2km、石徹白集落の最奥。(更に石徹白川沿いに約6km行くと「石徹白の大杉」(石徹白登山口)の駐車場がある。)
失礼ながら、雪深い山地の鄙びた社があるだけだろうと思っていましたが、行ってみたらとても立派な社殿でした。
鳥居をくぐって先へ行くと参道は細くなって下ります。すると橋が掛かけられていて、その先の石垣の上に社殿。
先ず、左側に両社(須賀社、地造社)があり、右側に大宮殿です。最初、大宮殿は拝殿かと思いましたが、菊理媛大神を祀る社でした。横の扉が開けられていて中に入ると祭壇があり、また、御札や御守、御朱印(当日の日付入り)がセルフで販売されていました。(行ってはおりませんが、境内に参集殿という建物がありますので、そちらに神職がいらっしゃると思います。)大宮殿の後に本殿への石段、見上げると樹齢何百年と思われる木々が鬱蒼とし、まさに神域。石段を上がると本殿、欄間の彫刻の素晴らしい事。本殿の両脇に東相殿(新嘗社)と西相殿(皇祖美社)です。
前日訪れた福井県勝山市の平泉寺白山神社もこの岐阜県郡上市の白山中居神社も同じ白山信仰の地ですが、趣きが結構違うので両社へ行かれる事をお薦めします。
祭神は、伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)、伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)、菊理媛大神(ククリヒメノオオカミ)。
西暦83年に吉備武彦命が国家鎮護のために伊邪那岐大神を祀ったのが始まりとされます。その後の養老年間(717~24年)に僧・泰澄が白山を開くためにこの地に来て、社殿を修復し、社域を拡げた。歴代の天皇や公家、奥州藤原氏や信長、秀吉、家康の崇敬を受けた。1860年には神祇管領長上の卜部良義より大神宮の号を授かったとの事です。
先の石徹白大師堂から北(奥)へ約2km、石徹白集落の最奥。(更に石徹白川沿いに約6km行くと「石徹白の大杉」(石徹白登山口)の駐車場がある。)
失礼ながら、雪深い山地の鄙びた社があるだけだろうと思っていましたが、行ってみたらとても立派な社殿でした。
鳥居をくぐって先へ行くと参道は細くなって下ります。すると橋が掛かけられていて、その先の石垣の上に社殿。
先ず、左側に両社(須賀社、地造社)があり、右側に大宮殿です。最初、大宮殿は拝殿かと思いましたが、菊理媛大神を祀る社でした。横の扉が開けられていて中に入ると祭壇があり、また、御札や御守、御朱印(当日の日付入り)がセルフで販売されていました。(行ってはおりませんが、境内に参集殿という建物がありますので、そちらに神職がいらっしゃると思います。)大宮殿の後に本殿への石段、見上げると樹齢何百年と思われる木々が鬱蒼とし、まさに神域。石段を上がると本殿、欄間の彫刻の素晴らしい事。本殿の両脇に東相殿(新嘗社)と西相殿(皇祖美社)です。
前日訪れた福井県勝山市の平泉寺白山神社もこの岐阜県郡上市の白山中居神社も同じ白山信仰の地ですが、趣きが結構違うので両社へ行かれる事をお薦めします。
すてき
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nomuten970投稿
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