だいせんじ
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楽しみ方大仙寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月04日(月) 16時43分21秒
参拝:2025年7月吉日
月に1度のプレミアムフライデー。
旦那が有給を取っていて、子供は夏休みだったので八百津に行きました🚗³₃
1460年、木曽川の黒瀬湊の豪士古田彦右衛門信正の娘が仏門に入って如幻尼と称し、現在地より南の黒瀬に臨済宗南禅寺派の不二庵を開創し、古田彦右衛門や美濃守護代の美濃斎藤氏を檀越として栄えました。
1492年、東陽英朝が不二庵に入りました。
東陽英朝は、和知村 野上の出身で、幼くして天龍寺の玉岫英種に預けられ、師と伴に南禅寺に移り修行を積みました。
尾張犬山の瑞泉寺などを経て1501年、再び不二庵に入りました。
1510年東陽英朝が再度住職を勤めた際に、木曽川を中国の臨済寺の近くを流れている滹沱河に例えて、山号寺号を臨滹山 大仙寺に改めて開山しました。
これより大仙寺は臨済宗妙心寺派に転じ、土岐政房は、大仙寺を土岐家の祈願所としました。
戦国時代末期になって土岐氏が衰退するにつれ寺勢が衰えました。
1630年、大仙寺を善恵寺が所有していた土地の中に移転し、堂宇を新築することになり、1634年堂宇が完成して愚堂東寔が中興を果たしました。
愚堂東寔は大仙寺に約40年間在住し、その中で4度、妙心寺に瑞世し十五哲三首座の法嗣を派出しました。
1662年愚堂東寔は後西天皇から、大圓寶鑑國師という諡号を賜りました。
それ以来 多治見市の永保寺、関市の正眼寺とともに美濃3道場と呼ばれ、末寺14ヶ寺、塔頭5ヶ院を有し妙心寺派の別格地として多数の高僧を輩出し、聖澤古道場の法灯を保っています。
書き置きでした。
旦那が有給を取っていて、子供は夏休みだったので八百津に行きました🚗³₃
1460年、木曽川の黒瀬湊の豪士古田彦右衛門信正の娘が仏門に入って如幻尼と称し、現在地より南の黒瀬に臨済宗南禅寺派の不二庵を開創し、古田彦右衛門や美濃守護代の美濃斎藤氏を檀越として栄えました。
1492年、東陽英朝が不二庵に入りました。
東陽英朝は、和知村 野上の出身で、幼くして天龍寺の玉岫英種に預けられ、師と伴に南禅寺に移り修行を積みました。
尾張犬山の瑞泉寺などを経て1501年、再び不二庵に入りました。
1510年東陽英朝が再度住職を勤めた際に、木曽川を中国の臨済寺の近くを流れている滹沱河に例えて、山号寺号を臨滹山 大仙寺に改めて開山しました。
これより大仙寺は臨済宗妙心寺派に転じ、土岐政房は、大仙寺を土岐家の祈願所としました。
戦国時代末期になって土岐氏が衰退するにつれ寺勢が衰えました。
1630年、大仙寺を善恵寺が所有していた土地の中に移転し、堂宇を新築することになり、1634年堂宇が完成して愚堂東寔が中興を果たしました。
愚堂東寔は大仙寺に約40年間在住し、その中で4度、妙心寺に瑞世し十五哲三首座の法嗣を派出しました。
1662年愚堂東寔は後西天皇から、大圓寶鑑國師という諡号を賜りました。
それ以来 多治見市の永保寺、関市の正眼寺とともに美濃3道場と呼ばれ、末寺14ヶ寺、塔頭5ヶ院を有し妙心寺派の別格地として多数の高僧を輩出し、聖澤古道場の法灯を保っています。
書き置きでした。
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