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歴史

創建年次は不詳であるが、社伝によれば、顔戸城(可児郡御高町)を築き、美濃の守護代であった斎藤妙椿(1411〜1480)の一族の柴井七郎という人が北野天満宮(京都市)の祭神を勧請し、この山を天満山と名付けたとされる。
慶長五年(1600)9月15日の関ケ原合戦において、西軍の将宇喜多秀家公は、天満神社一帯に陣を張り、東軍と激しく戦ったが、このとき社殿は焼失した。その後棟札によれば、寛文三年(1663)、岩手藩主竹中越中守の寄進を受け再建されたが、このとき藩主は、純金の観音像を合祀したという。しかし、この観音像は、明治初めに盗難にあったとのことである。
「東風吹けば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」これは、道真公が詠んだ和歌であるが、本殿の扉には、天満神社の神紋である梅の花の文様が描かれている。

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名称天満神社
読み方てんまんじんじゃ

詳細情報

ご祭神《主》菅原道真《脇》山神
創建時代創建不詳
創始者伝・柴井七郎
ご由緒

創建年次は不詳であるが、社伝によれば、顔戸城(可児郡御高町)を築き、美濃の守護代であった斎藤妙椿(1411〜1480)の一族の柴井七郎という人が北野天満宮(京都市)の祭神を勧請し、この山を天満山と名付けたとされる。
慶長五年(1600)9月15日の関ケ原合戦において、西軍の将宇喜多秀家公は、天満神社一帯に陣を張り、東軍と激しく戦ったが、このとき社殿は焼失した。その後棟札によれば、寛文三年(1663)、岩手藩主竹中越中守の寄進を受け再建されたが、このとき藩主は、純金の観音像を合祀したという。しかし、この観音像は、明治初めに盗難にあったとのことである。
「東風吹けば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」これは、道真公が詠んだ和歌であるが、本殿の扉には、天満神社の神紋である梅の花の文様が描かれている。

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