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伊富岐神社から駅へ戻るのにバスを1時間弱待つ必要があったので、関ヶ原駅へのんびり歩き垂井駅へ戻りました。垂井駅から徒歩で南宮御旅神社へ向かいました。
南宮大社の摂社。かつての美濃国総社と伝えられている。
5月5日の南宮大社例大祭には、南宮大社から御旅神社まで約2kmを神輿3基が通い、神幸式、蛇山神事、還幸舞などが奉納される。
御朱印は南宮大社で拝受できます。
駐車場がありませんので、気をつけて下さい。
もう40年程前になりますが、小学生の頃、神社、寺院の境内でよく野球をやっていました。その頃は、『御旅球場』などと勝手に名付け、今から思うと罰当たりでした。
やはり40年程前、祖父が3期8年程、御旅神社の神社係総代を勤めていました。最後は祖母に「早く後進に道を譲れ!」と怒られ引退しましたが(笑)
白髪神社も一緒に祀られています
御旅神社の社号標
鳥居
手水舎
白髪神社の拝殿
御旅神社の拝殿
【美濃国 古社巡り】
南宮御旅神社(なんぐう・おたび~)は、岐阜県不破郡垂井町府中にある神社。美濃国総社で、現在は南宮大社の境外摂社。旧社格は村社。主祭神は金山姫命、配祀神は豊玉姫命、埴山姫命。現所在地はかつての美濃国国府が存在した地とされ、南宮大社が現在地に移転する前の古宮の地。南宮大社は古宮の南の宮であるため「南宮」と名付けられたとされている。このため当社は「国府之宮」と呼ばれたという。
創建は不詳。かつての南宮大社とすると、神武天皇の御代の創建。実際には美濃国国府が築かれた以降と推測されている。時期は不明だが、南宮大社の神輿が相川を禊ぎ川渡りして当宮に至る儀式が行われるようになり、神輿の御旅所となっていることから「南宮御旅神社」と改称したとされる。1600年の関ヶ原の戦いで社殿等を焼失したが、1642年に徳川家光により再建されている。
当社は、JR東海道線・垂井駅の北西1kmほどの幹線道路(県道257号線)沿いの平地にある。裏手は広大な農耕地。道路沿いの境内東端入口はさほど広くはないが、奥に行くにしたがって広々としており、サイズ感としては旧郷社格相当。ほど良く高木も茂り、南側から離れて見ると一つの林のようになっている。面白いのは一つの境内の中に「白鬚神社」という別の神社が同居していて、同社も入口に社号標があり、境内に鳥居、狛犬、社殿とすべて揃っている。手水舎だけが共用。
今回は、美濃國の総社、南宮大社の境外摂社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者はいなかった。
※拝殿の張り紙によると、当社の御朱印は南宮大社授与所で拝受できるとのこと。あとで南宮大社に戻ろうと思ったが、南宮大社の参道は激しい参拝車渋滞で、後の予定が目白押しであることもあり、ご朱印拝受は諦めざるを得なかった...涙
境内東端入口にある3本の<社号標>。左側前には<白鬚神社>、左側後ろには<村社 南宮摂社御旅神社>、右側には<南宮御旅神社>と刻まれている。
参道を少し進むと<鳥居>。青銅製の扁額には<南宮摂社 御旅神社>とある。
参道をさらに進んで、社殿方向を望む。広々としたスペースの向こう、突き当りに<社殿>が見える。ただ、左手にやや大きめの<鳥居>があるのも気になる。
まずは突き当りの社殿を目指すと、左側にある簡素な<手水舎>。
<拝殿>全景。割と新しそうな感じ。
拝殿前左側の<狛犬>。こちらはかなり新しそう。
拝殿前右側の<狛犬>。彩色あり。
<拝殿>正面。扁額はない。賽銭箱には、御朱印を南宮大社にて拝受できる旨書きされている。
<拝殿>内部。整理整頓されている。
拝殿後ろの<幣殿・本殿>。4段になっている。
拝殿に向かって右手にある建物。<社務所>かな。
境内南側半分にある<鳥居>。こちらが<白鬚神社>。奥にあった「白鬚神社奉還鎮座碑」によると、1964年に他の場所から遷されてきたとのこと。
<白鬚神社拝殿>全景。「南宮御旅神社」と比べて9割ぐらいのサイズ。ほぼ対等。
<白鬚神社拝殿>正面。割と新しそうで、簡素な造り。
拝殿の後ろにある<白鬚神社幣殿・本殿>。こちらは3段になっている。
南宮御旅神社と白鬚神社の間にある2本の注連縄が巻かれた樹木。それぞれの<御神木>かな。
境内地の南側にある<美濃国府跡>。説明板あり。歴史ロマンを感じる。
境内南側の農道から見た<境内>全景。美濃国総社であった時代に思いを馳せるとわくわくする。(^▽^)/
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