えんきょうじ
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圓鏡寺ではいただけません
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圓鏡寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月28日(月)
参拝:2024年10月吉日
本巣郡北方町にある圓鏡寺にお参りしました。
美濃三弘法の1番札所で、地名から北方弘法と親しまれています。
また、西美濃33霊場第3番、東海36不動尊第32番、美濃新四国第51番、美濃七福神弁財天の札所となっています。
住宅街にありますが、円鏡寺公園を挟んで、大師堂のある境内と、観音堂がある境内(写真の他にも、聖徳太子堂、薬師堂、弁天堂、忠魂堂があります)がありとても広く、庭園も美しくのんびりと参拝できました。
本坊の山門をくぐり直ぐに納経所の案内板があったので「あそこだな」と思い太子堂に向かった所、住職の奥様?が「今から法事があるので、御朱印帳あずかります」と言われ、美濃新四国の御朱印の事を伝えると、「納経所の場所に準備してあるますので、お持ち下さい すいません」と恐縮されましたが、結局小走りで持ってきて下さいました。お忙しい中で対応していただきありがとうございました<(_ _)>
歴史は、弘仁2年(811年)、嵯峨天皇の勅令により、空海が創建。不動明王を本尊とし、定照寺と名付けられ、後に、補陀落上人により聖観世音菩薩が安置され補陀落院と改称。
永延2年(988年)、良祐により現在の伽藍の元が築かれ、一条天皇より「池鏡山 圓鏡寺」の名を授かりました。享保16年(1731年)観音堂が焼失しましたが、寛保1年(1741年)再建されました。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの歴代権力者からの保護を受けていて、朱印状も受けています。
美濃三弘法の1番札所で、地名から北方弘法と親しまれています。
また、西美濃33霊場第3番、東海36不動尊第32番、美濃新四国第51番、美濃七福神弁財天の札所となっています。
住宅街にありますが、円鏡寺公園を挟んで、大師堂のある境内と、観音堂がある境内(写真の他にも、聖徳太子堂、薬師堂、弁天堂、忠魂堂があります)がありとても広く、庭園も美しくのんびりと参拝できました。
本坊の山門をくぐり直ぐに納経所の案内板があったので「あそこだな」と思い太子堂に向かった所、住職の奥様?が「今から法事があるので、御朱印帳あずかります」と言われ、美濃新四国の御朱印の事を伝えると、「納経所の場所に準備してあるますので、お持ち下さい すいません」と恐縮されましたが、結局小走りで持ってきて下さいました。お忙しい中で対応していただきありがとうございました<(_ _)>
歴史は、弘仁2年(811年)、嵯峨天皇の勅令により、空海が創建。不動明王を本尊とし、定照寺と名付けられ、後に、補陀落上人により聖観世音菩薩が安置され補陀落院と改称。
永延2年(988年)、良祐により現在の伽藍の元が築かれ、一条天皇より「池鏡山 圓鏡寺」の名を授かりました。享保16年(1731年)観音堂が焼失しましたが、寛保1年(1741年)再建されました。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの歴代権力者からの保護を受けていて、朱印状も受けています。
本坊寺号標 山門
手水舎
大師堂 木造不動明王立像(国指定重要文化財)が祀られています
クロガネモチノキ 樹齢約200年あまり、幹回り3m、高さ9mあり別名「夫婦和合のモチ」とも言われています 昔の村の若者の悲恋物語が伝えられていますが、具体的には?です
山門横にある 見返りの庭
見返りの庭にある「大師腰掛けの石」
円鏡寺公園 以下は、観音堂がある境内です
楼門 両脇には、木造金剛力士像(国指定重要文化財)が祀られています
楼門の突き当たりにある観音堂 木造聖観音立像(国指定重要文化財)が祀られていて、お堂前には、大黒天、びんずる様が温かく迎えて下さいます
観音堂の横にある三重の塔
鐘楼堂
中央に池があり、大きなコイが元気に泳いでいます 少し奥には弁天堂があります
魚供養観音菩薩像 約15mあり大きなコイ?を抱えています 人間が生きるための食生活に欠かせない「魚」を供養するために建てられたそうです🐟
御朱印
すてき
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keeko165投稿
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