いちじょうじ|臨済宗妙心寺派|小熊山
一乗寺のお参りの記録一覧
羽島市小熊町にある一乗寺にお参りしました。
阿弥陀如来を御本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、美濃新四国第35番札所となっています。
イチョウの木が多く植えられて、イチョウ寺として親しまれていますが、まだ緑の葉でしたがチョッピリ黄色っぽくなりつつあるのを感じつつ参道を歩いて行くと、数人の方が銀杏の収穫作業をしてみえました。
のんびり、ゆっくり参拝後、納経所がわからず、収穫作業をしてみえる人に尋ねたら、作業中のご住職がみえて地蔵堂を開けていただき、美濃新四国専用のバインダーに綴じる御朱印が今はないと言うことで、半紙に書いていただきました。サイズがやや小さめで、綴じる穴もないのでと恐縮されましたが、やはり直書きはいいですね。力強さと温かみを感じます。
そして、お寺の歴史など色々話をして下さいました。以下の内容で、少し調べてみました。
地蔵堂と参道は真東を向き、春分と秋分の太陽が上がる方角を、本堂は冬至の太陽の上がる方角を指していて、太陽暦のズレを修正するするためで、農業には時節を知ることが大切であること。また、地蔵堂からの東西線は、白鳥が飛来する最南端を指して、外国の鉄工民が白鳥を追いかけてきたという伝承があり、農耕と鉄工にまつわる信仰の地であったことです。
また、源平合戦(1181年)の後、人の泣き叫ぶ声や太刀打ちの音などが聞こえたといわれ(このあたりが主戦場となり多くの戦死者がでたようです)地蔵尊を祀りこのお寺を建てて供養した所、その後は止んだそうです。
追加の歴史?については、弘仁10年(819年)弘法大師が、地蔵菩薩を彫って安置したことに始まると伝わります (源平合戦の前ですねそのあたりよく分からず😔)
文治3年(1187年)源頼朝が武運の祈願をして戦いに勝利したため、伽藍を再建。その後、寺は衰微しましたが、万治元年(1658年)臨済宗として再興されました。
寺号標
天明地蔵菩薩
突き当たりの地蔵堂と共に真東向きの参道 地蔵尊と、イチョウ並木いいですね
山門 銀杏の無人販売がありました(銀杏が苦手な私はスルーしましたが、ホクホクで美味しいと有名!です)
鐘楼堂
真東より29°南に向いている本堂
地蔵堂
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