臨済宗妙心寺派
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岐阜市岩崎にある霊松院にお参りしました。
聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、美濃新四国60番札所です。
お寺の周辺に、参拝者用駐車場がありましたがロープで囲まれ入れなくて、棒を引き抜こうとしましたが無理😢で、山門にいくまでの坂道の下に門柱があり、駐車禁止とあった所に無断駐車(後に御朱印を頂く時にすいません(_ _)と・・お伝えしました)が、坂道を登った所にありました。
境内はとても広く、庭木、石庭も整備されていました。本堂は塀で囲まれていて、手で開けられるのですが、庫裏のチャイムをならして開けて頂きお参りしました。静寂で、ピーンと張った空気感の中でシャッキと背筋が伸びます。いいですね😊
歴史は、寺によれば、1396年に無文元選が開いた故地であると伝わりますが詳細は不明。1624年に松江天倫寺の石翁玄需が当地の深貝平左衛門と共に創建。その後、宝暦年間(1751年~1764年)に岐阜の柴田与一郎が田畑を寄進し伽藍が治められています。
また、木曽三川治水工事の犠牲者の墓がありますが、管理監督する立場の役人の墓です。
山門
西国三十三霊場
勅使門 使われていないような?この奥に本堂があります
鐘楼堂
本堂
大きく立派な庫裏
御朱印
「美濃新四国」第60番札所です。
1624年に松江天倫寺の石翁玄需が当地の深貝平左衛門と共に創建を行いました。1706年に岩崎陣屋の代官であった南條金左衛門が葬られ、その後宝暦年間に岐阜の柴田与一郎が田畑を寄進し、伽藍が改められています。
1754年に宝暦治水で自害した高木家の家臣の内藤十左衛門が埋葬されています。内藤十左衛門の墓は宝暦治水工事義没者墓として1966年に岐阜県の史跡に指定されています。
1877年に当時の住持であった万休慧長の下で僧侶の育成を行う育成所を設けています。
これは後に普通学林と改称され、竜安寺の普通学林と合併して現在の花園大学に繋がっています。
御朱印は庫裏で頂きました。
名称 | 霊松院 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 058-237-1496 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
美濃四国 第61番 | 御本尊:聖観世音菩薩 |
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詳細情報
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
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