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えんとくじ|浄土真宗本願寺派

円徳寺の御由緒・歴史
岐阜県 名鉄岐阜駅

ご由緒

岐阜城主であった織田信長、孫の秀信(吉法師)所縁のお寺で、上加納村長旗にあった浄泉坊が前身と云われる。
天文16年(1547)、織田信秀(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗を喫し5000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔う為に織田塚が浄泉坊に築かれました。現在は円徳寺境内に安置されています。

永禄10年(1567)、岐阜に入った織田信長が、円徳寺門前に立てた「楽市場・定」の制札や、永禄7年(1564)、信長が寄進したと云われる梵鐘などが寺宝として残されています。

関ケ原の前線で岐阜城落ちたのち、城主織田秀信は円徳寺にて剃髪し、紀州高野山に向かわれました。

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