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ひわしじんじゃ

日鷲神社
公式福島県 小高駅

午前9時頃から午後5時頃まで。
(神職の都合により不在の場合もございます)

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御朱印について
御朱印
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限定
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あり
郵送対応
-
ありません
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり(側の女場公会堂の駐車場を含めると約15台駐車可能)

日鷲神社の基本情報

住所福島県南相馬市小高区女場字明地254
行き方

国道6号線「福岡交差点」より東へ約800m。
「日鷲神社」と書かれた赤い幟旗が目印です。

アクセスを詳しく見る
名称日鷲神社
読み方ひわしじんじゃ
参拝時間

午前9時頃から午後5時頃まで。
(神職の都合により不在の場合もございます)

参拝にかかる時間

約15分

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

御朱印の郵送対応なし

御朱印帳あり
電話番号0244-44-3009
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神天日鷲命
創建時代1323年(元亨3年)※現在地に移ったのは1364年
ご由緒

南相馬市小高区女場字明地に鎮座します日鷲神社の御祭神「天日鷲命」は、天孫降臨の際に供奉した三十二神のなかの一神で、天之太玉命を奉じて、弓矢兵杖をいただいて大鷲に跨り、先駆けして天降られた尊い神であります。
平将門公が下総の国に在るとき、特にこの神を尊び、次のように語ったと言われる。「鷲ノ宮は神代より弓矢の神にして鷲は猛鳥なり。我が軍敵国にに入れば則ち神大鷲に現じて我が旗を導く。我が軍をして大利あらしむれば則ち子孫永く守護神となすべし。」
元亨三年(1323)四月、藩主相馬孫五郎重胤公が、総州相馬郡より奥州行方郡に下向された際、鎮守三神として遥幸された。妙見の神官田代左衛門太夫信盛(現相馬市の相馬中村神社)、鷺ノ宮神官西山源太勝友、塩釜神官木幡源内屋直(現南相馬市原町区太田の塩釜神社)、三社の神興を守り、大田邑(現在南相馬市原町区中太田)に下られ、暫く神興を榎塚地内にとどめた後、鷺ノ宮は別所田中に御還りになられた。
貞治三年(1364)、社地を太田邑から女波邑舘内(現南相馬市小高区女場字明地)に遷座した。以来鷺舘と称し、舘前の田園を以て神田とし、これを明地というようになり現在に至る。
歴代藩主は当社を『武運長久の神』として熱く信奉され、戦の度に参詣、戦勝祈願が行われた。先の大戦では出征兵士の武運を祈る参拝者が多く訪れた(日鷲神社略縁起より)

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Wikipediaからの引用

概要
日鷲神社(ひわしじんじゃ)は、福島県南相馬市小高区にある神社である。旧社格は村社。
歴史
由緒[編集] 祭神の天日鷲命は、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊に供奉した三十二柱のうちの一柱で、天太玉命に付き従う神である。その御姿は手には弓矢兵杖を帯び大鷲に乗り、先駆けとなって天降ると伝わる。そのため、天日鷲命は弓矢の神であり、戦の際は大鷲として顕現し軍を先導すると信仰された。 日鷲神社は、往古は下総国豊田郡沼森村に大形神社という名前で鎮座しており、平将門が下総国にいた際も篤く信仰し「鷲宮は神代より弓矢の神で、鷲は猛々しい鳥である。我が軍が敵国に攻め入れば、天日鷲命は大鷲の姿で現れて旗を導くだろう。我が軍に大利をあらしむれば、我が子孫は永く天日鷲命を守護神と致す」と祈願したという。関東地方を...Wikipediaで続きを読む
引用元情報日鷲神社 (南相馬市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A5%E9%B7%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%29&oldid=76383727

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