くにたまじんじゃ
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楽しみ方都玉神社のお参りの記録一覧

第五代藩主 相馬昌胤が大変寵愛していた息子、都胤が五歳て亡くなり、それは嘆き悲しんだとのこと。
現在の社殿の裏山に石室を築いて都胤を埋葬し、お祀りしたのだそうです。
都胤(くにたね)の御魂(みたま)を祀ったことから、「くにたま」神社と称されるようになりました。
昌胤は吉田神道を深く崇敬していたので、社殿も吉田神道造りなんだそうです。吉田神道造りがどう言うものかよくわかりませんが、拝殿と本殿がひとつになったものだそうです。
なるほど、本殿にあたる建物がありませんでした。

線路のすぐ横に石の鳥居がありましたが、車を停められず神主さん宅に停めてきました。
参道の途中から行きます。
綺麗な参道です。

控えめな花手水。

手水舎の後は池があり、鳥や蝉が鳴く林の中です。
ちょっと、異空間に来たみたいです。

自然石の階段です。
細工していない自然のままの石を、よく並べたなぁと思いました。
落ち着きます。

立派な松。

由緒書き

社殿までの参道も自然石が並べてあります。
ちょっと歩き辛い。
社殿の背が高く、スマートでカッコいいです。

屏額は、、大将なんとか、読めません。
派手さは無いですが、板の木目も綺麗で風流です。

ね!本殿がないでしょ!


子安神社

これは、、先の男山八幡神社でもお手玉が奉納されていました。
後で調べたら、子宝に恵まれた人が、お手玉を作り、お礼に奉納するそうです。


神爾の印が、雲と波。
珍しいと思います。

1718年(享保3)、相馬昌胤の子どもの都胤を祭神として祭った神社で、都玉権現ともいいます。
都胤は、1715年(正徳5)に5歳という若さで亡くなりました
相馬昌胤が、吉田神道を深く崇拝したことから、この社殿は吉田神道の典型的な建物といわれています。
相馬昌胤は亡くなった後、神霊となり、1842年(天保13)、涼ヶ岡から都玉に移し合わせて祭られています(サイトより)
子安神社:祭神:木花咲耶姫様(安産の守護神)とされているそうです。 ❊御朱印についてですが(現在は、宮司さん)がいない為対応されていないと思います。

都玉神社 入口からの(都玉神社、子安神社標)です

都玉神社 境内にある(鳥居⛩️)です

都玉神社 境内にある(お宮)です

都玉神社 入口からの(右側都玉神社の社号標、左側鳥居)です

都玉神社 一ノ鳥居上部に掲げてある(都玉神社)の社額です

都玉神社 一ノ鳥居を進むと右側にある(都玉神社、子安神社)境内まで約200mの案内板です

都玉神社 一ノ鳥居からの参道の様子です

都玉神社 境内にある(手水舎)です

都玉神社 一ノ鳥居から参道を進むと見えてくる(ニノ鳥居⛩️)の様子です

都玉神社 参道の様子です

都玉神社 境内の様子です

都玉神社 境内にある(都玉神社:祭神:由緒書き)です


都玉神社 左側からの拝殿前の様子です

都玉神社 右側からの拝殿前の様子です

都玉神社 拝殿前の様子です


都玉神社(子安神社)境内にある(子安神社:祭神:木花咲耶姫様:安産の守護神)についての由緒書きです

都玉神社(子安神社)拝殿前の様子です
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