ひさのはますわじんじゃ
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御朱印の書き入れを待たせていただいている時間に、奥様から震災を経験したからこその家族との連絡方法や落ち合う場所など今一度大切な人と話し合ってほしいという海を眼前にした地域に住む方の想いをお聞きしました。
そして宮司さんご夫妻が溺愛するお孫さんのお話しも楽しく聞かせていただきました。
また参拝した際に、お孫さんの話を聞きたいなあと思っています。
久乃浜に鎮座する諏訪神社。
6号線から海沿いを走ると、周りは高い防波堤と小さな松の木ばかり。多分津波でやられてこうなったんだなぁと想像していると、久乃浜の街並みにようやく入りました。
津波に呑まれながらも生き残った神社、諏訪神社がそこにありました。
1.6メートル水が来た時、この鳥居はどんな風に見えたんだろうか、、
手水舎にはさるぼぼが吊り下げられていました。
朱の鳥居
参道は真っ直ぐです。
青龍の松
盆栽の様に、横に伸ばして青龍に見立てたクロマツ。
震災から生き残りました。
鳥居からずっと、横に伸びています。
青龍の松の後ろから
凄いです。
丸っこくて優しい感じの狛犬
拝殿
本殿
御朱印を頂く間、奥様のお話をお聞きする事ができました。
やはり、ここより南は家を建ててはいけない事になり松林になった事、そこに再建できないご家庭の樹木を手作業で掘り起こし、高台のお宅にもらって頂いた事、災害時に備えて、家族の集合場所を決めておく事、災害の備えは食料ではなく通帳などの大切な物を備えておく事、、、
奥様の人柄と行動力に感動しました。
帰りの社号標は、来た時とは違って、凛々しく見えました。
時がたち、何事もなかったように、今年も実を結ぶ果実。
歴史
【 創建 】
社伝によれば、康平6年(1063年)に当村の諏訪ヶ原に勧請された後、至徳元年(1384年)に現在の地に遷座されました。
【 内藤義概公による造営 】
それから約300年が経過した後、社殿は風雨により大きな被害を受けました。
このような状況を深く憂慮した磐城藩主の内藤義概公により、貞享元年(1684年)7月27日に本殿・幣殿・拝殿が建設されました。
この建設には玉山村、白岩村、戸田村、四倉村、仁井田村、久之浜村、田之網村、金ヶ沢村、末続村、小久村、大久村、小山田村、折木村、夕筋村の15ヶ村が関わったことが、貞享元年の棟札に記録されています。
【 現在の社殿と修繕工事 】
現在の社殿は、昭和40年に拝殿と幣殿を改築し、御本殿も何度か修繕を施しながら大切に守り続けられてきました。
しかし、東日本大震災により重大な被害を受け、令和4年には御社殿の大規模な修繕工事が完了しました。
名称 | 久之浜諏訪神社 |
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読み方 | ひさのはますわじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《合》建速須佐之男命,《主》建御名方命,八坂刀売命 |
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創建時代 | 康平6年(1063年) |
文化財 | 保存樹木 青龍の松 |
ご由緒 | 【 創建 】
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