【 創立と祭神 】
当社は創立年代が詳しくわかっておりません。
上高久二荒山に鎮座し、奥州磐城の二荒神社三座の一つであり、古くから上高久千石村の産土神として、氏子の中心存在となっています。
社殿の背後には、古墳またはかつての神の斎場とも言われる場所があります。
遥か昔、下野国の二荒山にある瀧尾神社の田心姫命を勧請したことに始まり、後に本宮の大己貴命を勧請し、二荒権現と称されるようになりました。
明治維新の際には、新たな祭神を勧請し、社号を現在の二荒神社に改めました(古文書による)。
【 歴史と土地の変遷 】
旧幕時代には、当社は二反二畝二十三歩の宮田を所有しており、元禄16年(1703年)の8月には内藤能登守義孝によって、宝暦4年(1754年)の甲戌年には井上河内守利容によって除地(年貢を免除された土地)されました。
また、正保3年(1646年)の乙酉九月には内藤刀帯忠興が御成りになられました(内藤家文書による)。
境内の傍らにある道は、片浜街道の古道として知られています。
【 社殿の建築と例大祭 】
元禄12年(1699年)に建築された社殿は、明治13年(1880年)に修築された鞘堂によって保護されていましたが、戦後間もなく撤去されました。
例大祭はかつては4月7日に行われていましたが、戦後は5月5日に改められました。
大正中期までは豊間村海岸で神輿の渡御や潮祓いの行事が厳かに行われていましたが、現在は中止されています。