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佐麻久嶺神社ではいただけません
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断捨離
2020年10月01日(木)
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ご祭神は五十猛命。山神、農神と知られ野山に種を蒔いたことから、「事始めの神様」として知られています。日本がみどり豊かな国になったのも、この神様のおかげです。
木々で覆われた山の入り口に赤い鳥居だけがみえました。階段があるようです💦
暑さと闘い階段を登り、境内の木陰では蚊と闘いなからお詣りしました。
たくさんの古木と末社が綺麗に配置された神社です。

佐麻久嶺神社の鳥居

鳥居の前はちょっと広い駐車場になっています。
あー階段だー

佐麻久嶺神社の建物その他

登り切ってから。結構な傾斜です。
登山をして頂上に着いた気分。

佐麻久嶺神社の本殿

拝殿
すっきり。

佐麻久嶺神社の本殿
佐麻久嶺神社の建物その他

この字体が好きですね。

佐麻久嶺神社の手水

手水舎と神楽殿

佐麻久嶺神社の本殿

本殿は小さいのですが、あかりが灯されていて、神聖な感じがします。

佐麻久嶺神社の歴史
佐麻久嶺神社の末社

末社

佐麻久嶺神社の自然
佐麻久嶺神社の自然

いわき市内最古の杉が御神木です。

佐麻久嶺神社の末社
佐麻久嶺神社の末社
佐麻久嶺神社の末社
佐麻久嶺神社の本殿

本殿をもう一度。
灯明がいいですね。

佐麻久嶺神社の御朱印

御朱印の字体も好きです。

佐麻久嶺神社の授与品その他

茅の輪のお守りを頂きました。

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歴史

【 佐麻久嶺・事始めの由来 】
「五十猛命」とは「須佐之男命」の御子であり、別名「大屋毘古命」とも称されます。
由緒記によれば、この神は紀伊国名草郡日前国懸大神の分身であり、「佐(伊佐於志)」の上下を略した功の意味を持ち、「麻久」は蒔を指し、嶺は美称を表します。
五十猛命は紀州に降臨し、多くの木の種を持ち、大八洲国内の田畑や山丘にまいて造化を助け、天下に大きな功績を残したため、山の神や農の神、そして種をまいたことから「事始めの神」として敬われています。
【 歴代の崇敬 】
勧請は慶雲元年(704年)の4月7日と伝わります。
延暦年間(782~806年)のある時、坂上田村麻呂は東征の際、武運長久を祈願するために薄磯の海浜で潮垢離(しおごり)の神事が執り行われました。
その後、源義朝や足利尊氏、徳川家康なども祭使を派遣し、神事を行いました。
しかし、応仁の乱(1467年)の頃には、神官である中山彦次郎(小野氏の祖で一時は中山領主)は戦乱に巻き込まれ、祭事を中止し、旧記や神領などを全て失ってしまいました。
【 応仁の乱と再建 】
応仁の乱の影響で神官の娘は一時的に矢田村へと移り住み、神を勧請して郷の人達が社を建てました。
しかし、神霊は元々の場所(中山)を慕い、毎夜中山の嶺から光を放ちました。
そのため、当時の村主である植田平六はこの噂を嫌い、社を取り壊してしまいました。
彼の子孫は神の怒りにふれて滅亡したといいます。
その後、元の場所に社を遷しました。
天和2年(1682年)3月には雷火によって焼失しましたが、翌年の8月に平城主である内藤義泰が再建し山林一町歩を寄進して、現在に至っています。
また、境内の南下には「神宮寺跡」と称される畑があると伝えられています。
旧社格は郷社です。

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佐麻久嶺神社の基本情報

住所福島県いわき市平中山字宮下81
行き方

車:常磐道「いわき中央IC」より、約25分
電車:「JRいわき駅」下車、駅よりバス・タクシーなど公共交通機関を利用して約20~30分

アクセスを詳しく見る
名称佐麻久嶺神社
読み方さまくみねじんじゃ
通称中山様
御朱印あり

限定御朱印なし
ホームページhttps://xn--3iq3y595abz0ateam90u.jp/
お守りあり

詳細情報

ご祭神《主》五十猛命(須佐之男命の御子)別名/大屋毘古命
創建時代慶雲元年(704)4月7日
ご由緒

【 佐麻久嶺・事始めの由来 】
「五十猛命」とは「須佐之男命」の御子であり、別名「大屋毘古命」とも称されます。
由緒記によれば、この神は紀伊国名草郡日前国懸大神の分身であり、「佐(伊佐於志)」の上下を略した功の意味を持ち、「麻久」は蒔を指し、嶺は美称を表します。
五十猛命は紀州に降臨し、多くの木の種を持ち、大八洲国内の田畑や山丘にまいて造化を助け、天下に大きな功績を残したため、山の神や農の神、そして種をまいたことから「事始めの神」として敬われています。
【 歴代の崇敬 】
勧請は慶雲元年(704年)の4月7日と伝わります。
延暦年間(782~806年)のある時、坂上田村麻呂は東征の際、武運長久を祈願するために薄磯の海浜で潮垢離(しおごり)の神事が執り行われました。
その後、源義朝や足利尊氏、徳川家康なども祭使を派遣し、神事を行いました。
しかし、応仁の乱(1467年)の頃には、神官である中山彦次郎(小野氏の祖で一時は中山領主)は戦乱に巻き込まれ、祭事を中止し、旧記や神領などを全て失ってしまいました。
【 応仁の乱と再建 】
応仁の乱の影響で神官の娘は一時的に矢田村へと移り住み、神を勧請して郷の人達が社を建てました。
しかし、神霊は元々の場所(中山)を慕い、毎夜中山の嶺から光を放ちました。
そのため、当時の村主である植田平六はこの噂を嫌い、社を取り壊してしまいました。
彼の子孫は神の怒りにふれて滅亡したといいます。
その後、元の場所に社を遷しました。
天和2年(1682年)3月には雷火によって焼失しましたが、翌年の8月に平城主である内藤義泰が再建し山林一町歩を寄進して、現在に至っています。
また、境内の南下には「神宮寺跡」と称される畑があると伝えられています。
旧社格は郷社です。

Wikipediaからの引用

概要
佐麻久嶺神社(さまくみねじんじゃ)は、福島県いわき市にある神社。式内小社で、旧社格は郷社。
歴史
歴史[編集] 社伝によると、慶雲元年(704年)の創建とされる。 延喜式神名帳では、陸奥国磐城郡七座の一座として小社に列した。江戸時代には磐城平藩より崇敬を受け、天和2年(1682年)に落雷で焼失した際は翌年に藩主内藤義泰により社殿が再建され、以後も歴代藩主より改修がなされた。 明治9年(1876年)郷社に列した。
引用元情報佐麻久嶺神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BD%90%E9%BA%BB%E4%B9%85%E5%B6%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=85680035

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