こくわくらじんじゃ
子鍬倉神社福島県 いわき駅
9:00-16:30
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
【遠征参拝】
常磐遠征参拝の二日目、七ヶ所目はいわき駅近くの子鍬倉神社に参拝しました。
本殿脇の境内にある駐車スペースに車を停め、正面側の長い階段の途中にある二の鳥居をくぐって拝殿に参拝。
広い境内には拝殿向かって左側に八幡宮と八坂神社が並んで鎮座していました。
授与所で直書きの御朱印を拝受。娘は干支の御守りを拝受しました。境内には心地よい風が吹いており、気持ち良く参拝できました。
参道正面からの拝殿
拝殿前が広い境内
階段途中にある二の鳥居
木々に囲まれた本殿
堂々とした扁額
境内に鎮座する天満宮
境内に鎮座する八坂神社
子=衣、鍬=食、倉=住で子鍬倉神社

高台にある神社です⛩️
前から行きたいと思っていて、やっと参拝することが出来ました✨
所々にお花が咲いていて綺麗でした😄
牡丹桜?だと思いますが綺麗でした🌸
藤の花が咲いてました。まだ半分くらいの開花でしたが満開に咲いたらとても綺麗でしょうね!
【 社名について 】
子鍬倉(こくわくら)という社名は、日本全国で唯一のものです。
旧県社として稲倉魂命を祀り、衣食住の神として尊崇されています。
「子」は、養蚕の盛んな時代に蚕を“お子さん”と呼んだことから衣を意味し、「鍬」は農具であり食を意味し、「倉」は物品出納の場所である住を意味しています。
このように、当社名は「衣食住」を象徴し、神徳を表現した尊い名前です。
【 創建と由緒 】
当社は古く、平安時代の大同元年(806年)に創建されたと伝えられています。
また「延喜式」の神名帳に当神社の名前が記載され、由緒ある神社である「式内社」と呼ばれ、磐城七社の一つとされました。
かつては磐城四郡の総鎮守と称され、平城三社の一つとしても、歴代の平城主から厚い尊崇を受けていました。
【 江戸期の調査と復興 】
慶長7年(1602年)、鳥居忠政が磐城平城を築くにあたり当社の社地を狭められたため、荒廃してしまいました。
その後、磐城平藩主の内藤義概(1619-1685)の調査において、平桜町(現在の磐城桜が丘高内)の稲荷の小社の周囲から勾玉などが出土しました。
これをもって子鍬倉神社として比定され、復興に際して現在の揚土台に社殿を造営されたと伝えられます。
稲荷大明神とも称され、子鍬倉稲荷神社とも呼ばれる所以です。
【 県社の第一号 】
明治6年(1873年)3月に全国的に社格制度が実施され、その際、磐前県は当神社を県社の第一号に指定しました。
これにより、氏子民は地方神社の最高峰として、敬意を持って神社に参拝し、現在でも「県社」という愛称で親しまれています。
また、明治7年(1874年)には南正面の断崖を切り開いて現在の「男坂」を造り、大正10年(1921年)に現在の「女坂」が完成しました。
| 名称 | 子鍬倉神社 |
|---|---|
| 読み方 | こくわくらじんじゃ |
| 通称 | けんしゃ、子鍬倉稲荷神社 |
| 参拝時間 | 9:00-16:30 |
| 御朱印 | あり 右下にいわき市平、真ん中に子鍬倉神社、延喜式内と書かれ、真ん中に子鍬倉神社の印、左下に子鍬倉神社宮司之印が押されています。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0246-25-2091 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| ご祭神 | 《主》稲倉魂命 |
|---|---|
| 創建時代 | 大同元年(806年) |
| 本殿 | 木造流造り |
| ご由緒 | 【 社名について 】
|
| 体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り祭り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
















8
0