御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

こくわくらじんじゃ

子鍬倉神社の御由緒・歴史
福島県 いわき駅

ご祭神《主》稲倉魂命
創建時代大同元年(806年)
ご由緒

【 社名について 】
子鍬倉(こくわくら)という社名は、日本全国で唯一のものです。
旧県社として稲倉魂命を祀り、衣食住の神として尊崇されています。
「子」は、養蚕の盛んな時代に蚕を“お子さん”と呼んだことから衣を意味し、「鍬」は農具であり食を意味し、「倉」は物品出納の場所である住を意味しています。
このように、当社名は「衣食住」を象徴し、神徳を表現した尊い名前です。
【 創建と由緒 】
当社は古く、平安時代の大同元年(806年)に創建されたと伝えられています。
また「延喜式」の神名帳に当神社の名前が記載され、由緒ある神社である「式内社」と呼ばれ、磐城七社の一つとされました。
かつては磐城四郡の総鎮守と称され、平城三社の一つとしても、歴代の平城主から厚い尊崇を受けていました。
【 江戸期の調査と復興 】
慶長7年(1602年)、鳥居忠政が磐城平城を築くにあたり当社の社地を狭められたため、荒廃してしまいました。
その後、磐城平藩主の内藤義概(1619-1685)の調査において、平桜町(現在の磐城桜が丘高内)の稲荷の小社の周囲から勾玉などが出土しました。
これをもって子鍬倉神社として比定され、復興に際して現在の揚土台に社殿を造営されたと伝えられます。
稲荷大明神とも称され、子鍬倉稲荷神社とも呼ばれる所以です。
【 県社の第一号 】
明治6年(1873年)3月に全国的に社格制度が実施され、その際、磐前県は当神社を県社の第一号に指定しました。
これにより、氏子民は地方神社の最高峰として、敬意を持って神社に参拝し、現在でも「県社」という愛称で親しまれています。
また、明治7年(1874年)には南正面の断崖を切り開いて現在の「男坂」を造り、大正10年(1921年)に現在の「女坂」が完成しました。

歴史
歴史[編集] 社伝によれば、大同元年(806年)の草創と伝えられる。「延喜式内社」であり、式内社磐城七社の一つである。古くは磐城四郡(菊多郡、磐城郡、磐前郡、楢葉郡)の総鎮守と言われた。 平城守りの神「平城三社」の一つとして歴代の平城主より崇敬を受けた。 慶長6年(1602年)に磐城平城が築城により社地が狭められ、荒廃するが、文政9年(1826年)に桜町にあった稲荷小社を第4代平藩主・内藤義概が現在地に復興した。 明治6年(1873年)3月に「県社」に列格した。昭和21年近代社格制度廃止の後も「けんしゃ」の愛称で呼ばれている。 明治7年南正面の断崖を切り開いて「男坂」を造り、大正10年「...Wikipediaで続きを読む
引用元情報子鍬倉神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AD%90%E9%8D%AC%E5%80%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=76779899

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ