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こうぞうじ|真言宗智山派海雲山

高蔵寺の御由緒・歴史
福島県 植田駅

ご本尊本尊:阿弥陀如来
札所本尊:千手千眼観世音菩薩(磐城三十三観音霊)
創建時代大同2年(807年)
開山・開基徳一
ご由緒

【 高倉観音の由緒 】
高蔵寺は、大同元年(806年)に東国に下向した高僧徳一大師によって開創された由緒ある古刹と伝えられています。
当山の別堂には千手観世音菩薩が奉安されており、その縁起には『徳一大師は当時、天変地異や悪病の流行で苦しむ人々を励ましながら、災害を鎮めるために菊多の地に密壇を設け、千手観音の尊像を刻み祈願した。(菊田七観音)』とあり、現在、多くの人々が篤信する磐梯三十三観音第6番札所の高倉観音であるとされています。
【 浜通り地方の貴重な三重塔 】
浜通り地方に現存する唯一の江戸時代の三重塔は、はじめ応永年間(1394〜1428年)に植田城主の藤原隆広公らの力によって建てられたとされ、高蔵寺の奥の高倉山に建っています。
火災に遭わなかったため往古の姿をとどめており、現存の高蔵寺三重塔は、安永3年(1774年)ごろ、当山17世住職承隆和尚により再建されたものであり、県の重要文化財に指定されています。
そこまでたどる参道は、森閑たる杉並木が続く清浄な場所であり、まさに霊場の極致と言えます。

歴史
歴史[編集] 807年(大同2年)、徳一によって開山された。徳一は磐梯山の噴火による火山灰降下に苦しむ衆生を救わんと、当地で観音菩薩像を7体彫ったと伝えられる[1]。 中世には、観音霊場として栄えた。江戸時代は寺領30石が与えられている[1][2]。 当寺の本堂は1892年(明治25年)の火災で焼失し、最近まで仮本堂のままであったが、1995年(平成7年)にようやく再建された[1]。 ^ a b c 高蔵寺の歴史と縁起高蔵寺 ^ 真言宗智山派海雲山慈眼院高藏寺いわき観光まちづくりビューロー
引用元情報高蔵寺 (いわき市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E8%94%B5%E5%AF%BA%20%28%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%29&oldid=90266851

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