| 歴史 | 歴史[編集]
慧日寺は平安時代初め、807年(大同2年)に法相宗の僧・徳一によって開かれた。徳一はもともとは南都(奈良)の学僧で、布教活動のため会津へ下って勝常寺や円蔵寺(柳津虚空蔵尊)を建立し、会津地方に仏教文化を広めていた。また、徳一は会津の地から当時の新興仏教勢力であった天台宗の最澄と「三一権実諍論」と呼ばれる大論争を繰り広げたり、真言宗の空海に「真言宗未決文」を送ったりするなどをしていた。徳一は842年(承和9年)に死去し、今与(金耀)が跡を継いだ。この頃の慧日寺は寺僧300、僧兵数千、子院3,800を数えるほどの隆盛を誇っていたと言われる。「国王神社縁起」及び「元享釈書」による...Wikipediaで続きを読む |
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