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いわはしじんじゃ

磐椅神社の御由緒・歴史
公式福島県 猪苗代駅

ご祭神《御祭神》大山祇神(オオヤマヅミノカミ),埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト)
《相殿》誉田和気命(ホンダワケノミコト)=応神天皇、息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)=神功皇后,木花之佐久夜比売命(コノハナサクヤビメノミコト),磐長姫命(イワナガヒメノミコト)
ご神体磐梯山
創建時代社伝によると、250(神功皇后摂政50)年に磐梯山頂に祀られ、729(天平元)年に磐梯山のふもとに鎮座しました。
ご由緒

  会津はもとより県内外の人々から「いわきさま」と親しまれている社。十世紀に成立した全国の格式ある神社の一覧「延喜式神名帳」に耶麻郡一座としてあり、会津地方の伊佐須美神社(会津美里町)、蚕養国神社(会津若松市)とともに延喜式内社として信仰を集めました。
  応神天皇の御代(弥生時代)、武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、国土開発の神とされる大山祇神と埴山姫命を磐椅(いわはし)山の頂上に鎭座されたと伝わります。磐椅山とは現在の磐梯山のことです。その後、聖武天皇の御代(奈良時代)、見祢山南麓の現在地に遷座し、相殿として品陀和氣命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を祭りました。これらの神々は縁結び、豊作祈願、方除開運など全ての開発開運の神様として名高く古来有名です。

歴史
歴史[編集] 応神天皇のとき、武内宿禰が磐椅山の山頂に祭神を祀る。その後、聖武天皇のときに、現在地に移る。
引用元情報磐椅神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A3%90%E6%A4%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=93431348

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