あたごじんじゃ
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楽しみ方愛宕神社のお参りの記録一覧

飯盛山を離れて少し移動。ナビに従って行くと二の鳥居先まで案内されました。石段を二の鳥居まで戻りましたが、一の鳥居は諦めました。拝殿迄の石段が絶望的、段差が高く幅も広いので余計に負担。この石段は鶴ヶ城の石垣の残石を利用しているので、大きく登りにくいため、歩きやすいところが擦り減っています。事前に大変な石段と知っていたため、体力温存のため、飯森山では動くスロープを利用しました。

二の鳥居から一の鳥居を望む

明治二十四年(1891)奉納の二の鳥居


石段


燈籠

享和三年(1803)と刻まれた石

二十三夜供養塔

安永三年(1774)奉納の燈籠


明治三十六年奉納の燈籠

安政五年(1858)奉納の二十三夜塔


二十三夜塔

大正二年(1913)奉納の狛犬



手水舎

昭和五年(1930)奉納の手水盤


昭和十年(1935)奉納の社号碑

松平容保公の像


享保十五年(1730)造営の拝殿

扁額

本殿


奉納絵馬

慶応三年(1867)奉納の燈籠

文久三年(1863)奉納の燈籠

天保四年(1833)奉納の燈籠

宝暦三年(1753)奉納の燈籠

境内社 雷神社

扁額

境内社鳥居

境内社 北向愛宕稲荷神社

近藤勇之墓所標

せっかくなので山道を少し歩きました



新選組局長、近藤勇墓所
幕末には土方歳三も宇都宮城(栃木県宇都宮市)攻防戦で傷を負い東山温泉に湯治に来た際、傷平癒の祈願に訪れています。


近藤勇は板橋処刑場で斬首されていますが、土方歳三が遺体の一部をこちらに埋葬したとらしい。厳密には亜t後神社の境内ではなく、天寧寺の境内になるらしい
右が近藤勇の墓で、左が土方歳三の墓です

由緒書

境内社 子宝神社

境内社 相生神社

愛宕神社
ここ何回か行った神社の中で、一番しんどかった神社です。夏場なら諦めてたのかもしれません。
会津一社をすごい強調されてる感じがしました。
社務所もあり宮司さん、不在でした。

拝殿。

ここから石段がずうーっとずうーっと続きます(O.O;)(oo;)

鳥居。さらに上へ。

さらに。

この石段滑ります。




不揃いの、石が歩きにくいです。


手水舎。

やっと拝殿見えました。


松平容保の像があります。

拝殿ななめから。







飯盛さんを後にして、新撰組局長近藤勇のお墓がある愛宕神社を参拝。
会津藩お預かりの新撰組大好きなんです。
愛宕神社へは、飯盛山の前の道路をひたすら東山温泉・武家屋敷方向へ進むと参拝者駐車場の案内板が見えてきますので迷うことはないですが、駐車場への道は車一台分ギリギリの路地を通っていきます。
さらに社殿に向かうにはこれまた飯盛山のような石段を登っていくのですが、歴史ある石段なので足元はガタガタな上に苔むしてるので滑りやすく、かなり注意した方が良いです。
また、杖代わりのストックが置いてあるので、参道中央に手摺りがありますが素直にお借りした方が良いです。
石段を登り切ったところに社殿がありますが、所々修復されたのか真新しい木材と経年で色褪せた木材とで不思議なコントラストが。
社務所もありますが無人でした。
ただ、熊よけのためかラジオが流れており、社務所の参道挟んで向かい側にしめ縄の貼られたお宅があり、どうやら宮司さん宅のようです。
御朱印はこちらでお声がけして拝受しました。
近藤勇のお墓は社殿右手を進み獣道のような山道を100mほど進むとひっそりと佇んでいます。
近藤勇のお墓は日本各地にありますが、最近では板橋で斬首された後にこの地に副長の土方歳三が弔ったとされてるようです。
天寧寺への抜け道が表示されてますが、実際に行ってみると行き止まりでさらに険しい獣道だったので、今回は天寧寺への参拝はあきらめました。

社号標

杖代わりのストック
絶対使ったほうが良いです

鳥居

時々飾られてる風鈴が夏詣を思わせます

励ましの看板

参道途中には綺麗なアジサイが

マジで石段キツイ💦

やっとゴールが見えてきた笑

狛犬さん

社務所と宮司さん宅の間には、会津藩主兼京都守護職松平容保公の胸像があります。
結構なイケメン

社殿

斜めから

拝殿の蟇股には龍の彫刻
まるで笑ってるようなお顔つき

扁額

由来記

社殿右には雷神社と稲荷社

近藤勇の墓について

お墓へ行くには、この獣道を進んでいきます

やっとたどり着いたよ、近藤さん

隣には土方さんが。

近藤勇辞世の句

御朱印と

とてつもなく疲れました。もとは修験道の僧によって勧請されたためか、石段を登るのも修行である!と言わんばかりの坂でした。
天応元年(781)門田小田の里、谷地沼に18メートルの大蛇を玉泉という僧が退治し、愛宕山権現を勧請したのが始まりで、天正18年(1590)に現在地に遷座した。明治に神仏分離令によって、愛宕神社となったそうです。
大蛇が始まりって言うのが、場所は違えど、しっくりきましたね。

嫌な予感の始まり。暑いのに石段です。
さぁ、登りましょうか💦


途中の鳥居は

伊勢宮でした。

まだまだ続きます。

途中の祠

息も絶え絶えの頃、こんな看板が、、
結構強気で、負けるもんか!とまた足を進める。


はい、はい、わかっていますが、身体がね💦

やっとゴールが見えてきました。ここからは手摺りもあって少し安定して登れます。

ストックがあるんだわ、杖がりにどうぞって?
下に置いて欲しかった、、

毎月登れば、慣れて楽になるでしょう、、か?

凛としたおしゃれな狛犬

手水舎

拝殿





雷神社

北向愛宕稲荷神社

近藤勇のお墓に行けます。天寧寺に続いているようです。

天寧寺にもアップしたかな?一応おまけで。


近藤勇のお墓から戻り、御朱印を頂きに社務所へ。
その前には松平容保公の像があります。

子安観音、相生神社

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