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100年後に神社お寺を残せる未来へ

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100年後に神社お寺を残せる未来へ
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🌻向日葵🌻
2022年01月15日(土) 11時14分26秒
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静御前の終焉の地が全国各地に諸説ある中、この『静御前堂』にも伝説があり、従者の小六の碑が残されています。
お堂前の大通りは「静御前通り」という愛称で親しまれており、この地域は「郡山市静町」となっています。
毎年3月28日には静御前堂例大祭が執り行われております。
☆☆☆『ご由緒』以下は引用文です☆☆☆
今から八百十余年も昔のこと、源義経は兄の頼朝に都を追われ平泉へと落ち延びました。
静御前は義経の後を追い、やっとの思いでこの地(郡山市大槻町花輪)までたどり着きました。
しかし、「源義経様が討たれた」という悲しい知らせを聞き、もはやこれまでと池(現在は美女池と呼ばれています)に身を投じ22歳のはかない生涯を閉じました。
里人はあわれみ、薄幸な静御前の供養の為に建立されたのがこの「静御前堂」(現在の御堂は天明4年再々建されたもの)です。
また、境内には「義経桜」と「しずか桜」と呼ばれる桜の木があり、4月には仲良く桜の花が満開になります。








従者の小六の碑が残されています。




針生古墳は、古墳時代後期につくられた高さ3m、直径13mの円墳です。静町を含む大槻地区には、かつて100基以上の古墳がありましたが現在はそのほとんどが破壊されてしまいました。その中でこの古墳がほぼ原形のまま保存されており、極めて貴重です。


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