いおうじ|真言宗豊山派|瑠璃光山
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楽しみ方医王寺のお参りの記録一覧

医王寺
飯坂温泉の近くにある佐藤兄弟の菩提寺。行けるタイミングが突然訪れました(笑)
今回は福島市の南周辺をお参りしようかと思っていましたが、福島市の北側に用事ができたため。突然("⌒∇⌒")
いつか行こうと決めてた寺。期待は裏切りませんでしたね。本堂内、お堂、宝物殿、そして佐藤一族のお墓や像など。沢山見るとこあります。拝観料300円かかりますけどね。
山門。左側に受付。御朱印対応しています。
薬師堂へ参道
境内案内図
桜と薬師堂の説明書
本堂への門 先ずはここから
庭園の一部
本堂前には大師様がいます
観世音菩薩像
親子地蔵様
本堂内 御本尊
佐藤兄弟の妻の位牌
こちらで佐藤兄弟の事を詳しくしれますよ。
撮影不可との事です。
瑠璃光殿(宝物殿)の入り口で気になった案内板
梵鐘
中間の墓地には義経、佐藤兄弟の像。
さぁ。薬師堂へむかいます。
薬師堂
石灯籠
歴代住職のお墓
佐藤兄弟のお墓
佐藤兄弟の父のお墓
佐藤兄弟の母
乙和の椿 逸話知りたいですね。
最後に蓮を。

源義経の忠義な家来、佐藤継信、忠信兄弟の菩提寺また松尾芭蕉の句碑のあるお寺。拝観料を納めて入山。
薬師寺堂
薬師寺堂までの参道
佐藤兄弟と義経像
義経像
薬師寺堂
佐藤兄弟の墓
本堂
本堂遠景
芭蕉の句碑
山門
書き置き御朱印

山号は瑠璃光山、寺号は医王寺、宗派は真言宗豊山派、ご本尊は薬師如来、奥州三十三観音霊場 特別札所、奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場 第二十七番札所、北國八十八ヶ所霊場 第十七番札所、奥羽三十六薬師霊場 第十七番札所、中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺、医王寺は826(天長3)年、弘法大使御作の薬師如来像を勧請し、草庵を建てたことに始まると伝えられ、当地の名を付し鯖野薬師ともいわれています。
また、奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺で奥州三十三観音特別霊場にもなっています。
1689(元禄2)年5月「奥の細道」の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、身代わりとなって主君を守った佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を詠みました、更に医王寺に残る悲しくも愛情に満ちた「中にも2人の嫁がしるし先づあはれなり、女なれどもかひがひしき名の世に聞えつるものかなと袂(たもと)をぬらしぬ」とし「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」と詠んだ句を残しました。
一説によると、芭蕉が旅の中で感涙の涙を流したのは全部で4回といわれていますが、その一つがこの医王寺で流した涙だと言われております。寺院内に芭蕉の句碑、瑠璃光殿では、県重要文化財や市指定有形文化財など多数の宝物をご覧いただけます。源義経が佐藤基治に形見に与えられたと伝えられる着物の端切れや、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる物、弁慶が奉納したと伝えられる笈(おい)や義経の愛用品など多数展示されています
奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場 第二十七番札所、御朱印です。

福島市飯坂町「瑠璃光山 医王寺」初めての参拝です🙏
佐藤一族の菩提寺となっており、
見所がたくさん有ります🚶♀️
山門脇の受付に御朱印帳を預けてから中に進みます。
山門をくぐると右手に福島市天然記念物「医王寺のシラカシ」がそびえ立っています。
本堂は法務中のため中は見学出来ませんでした。
本堂御本尊は「大日如来さま」
「奥の院 鯖野薬師堂」へ向かう途中、
佐藤一族ゆかりの源義経像が有りました。
薬師堂御本尊は「薬師如来さま」
墓碑「医王寺の石造供養石塔群」は
福島県指定重要文化財となっています。
「中尊寺蓮池」もあり、蓮が咲いたら
きっと美しい蓮池だろうと思います🌸

(2022年7月の参拝です。)
源義経に従った佐藤兄弟の菩提寺医王寺に参拝し御朱印をいただきました。
医王寺は真言宗豊山派のお寺でご本尊は大日如来です。
本堂には源義経の身代わりに討ち死にした佐藤兄弟の死を悲しんだ母を慰めようと
二人の妻が武将姿に扮した人形がのこされています。
松尾芭蕉の歌碑があり、ここで
笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟
と詠まれています。
弁慶が寄贈した笈が残されています。
参道を歩くと鯖野薬師堂があり薬師如来をお祀りしています。
最期は源義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げた佐藤継信・忠信公のお墓、像があります。
悲しみのため、蕾のまま落ちてしまうそう乙和椿もありました。
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御朱印
由緒書
山門
鐘楼
本堂への門
薬師堂への参道
本堂
松尾芭蕉の歌碑
源義経と佐藤兄弟の像
鯖野薬師堂
佐藤継信・忠信公のお墓
乙和椿

こんなに身近に義経ゆかりのお寺があったとは。
本堂の中には、義経忠義の武将佐藤継信兄弟の妻2人が悲しみに暮れる兄弟の母親を慰めるため武装をしたと言われる像が納められていました。
また境内奥には、義経を中心に佐藤兄弟の銅像も見られます。
御朱印は、山門隣で拝受できます。
山門
中尊寺金色堂 首級桶から発見されたハスの種、義経ゆかりの医王寺にも賜り、中尊寺ハスとして咲いたようです。

拝観料が300円かかります
源義経の重臣であった佐藤継信、忠信兄弟にまつわる悲しいお話を宝物館で知り、とても興味深く拝観させていただきました。
奥の院 薬師堂へ続くみごとな杉並木
宝物殿 瑠璃光殿
薬師堂
薬師堂には石に穴をあけ紐で欄干にくくりつけたものがありました。よく見ると絵馬のような役割なのか願い事が書いてあるものがありました。
継信忠信のお墓 回りは佐藤一族のお墓が静にたたずんでいます。
乙和の椿 継信忠信の母乙和が、帰らぬ息子を嘆き悲しみ、咲かずに蕾のまま落ちる椿
蓮明池
咲いた後が好き
本堂 義経の牛車の車輪からとった家紋らしい・・

飯坂線医王寺下車。徒歩20分くらい? 住宅地の中にあり経路は曲がる所も多く少し迷いました。
源義経の従者として有名な佐藤継信,忠信兄弟の実家である信夫佐藤氏の菩提寺です。
佐藤氏は代々奥州藤原氏の重臣でした。
境内には義経,継信,忠信の銅像および「ああ、義経、佐藤一族」と言う歌の歌碑も。
奥に進むと継信,忠信の父であり佐藤一族の当主である佐藤基治とその妻・乙和子の墓碑もあります。
兄弟の母である乙和子は奥州藤原氏三代目・秀衡の従姉妹にあたります。
墓碑の側にある乙和椿は、息子を失った母の悲しみに呼応するように花の咲かない椿だと言われています。
注目は境内にある宝物庫で、佐藤一族ゆかりの品々の他、「平教経の矢の根」なんてものも。
佐藤継信は屋島の戦で、義経をかばい敵の平教経の矢を受けて絶命しますが、義経はその矢を引き抜き、奥州に戻った時に父の基治に遺品として渡したのがこれだそうです。
このあたりの歴史が好きな人にはぜひお勧めの場所ですね。
医王寺入口
義経,継信,忠信の銅像
「ああ、義経、佐藤一族」歌碑
乙和椿
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