いおうじ|真言宗豊山派|瑠璃光山
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楽しみ方医王寺のお参りの記録一覧
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山号は瑠璃光山、寺号は医王寺、宗派は真言宗豊山派、ご本尊は薬師如来、奥州三十三観音霊場 特別札所、奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場 第二十七番札所、北國八十八ヶ所霊場 第十七番札所、奥羽三十六薬師霊場 第十七番札所、中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺、医王寺は826(天長3)年、弘法大使御作の薬師如来像を勧請し、草庵を建てたことに始まると伝えられ、当地の名を付し鯖野薬師ともいわれています。
また、奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺で奥州三十三観音特別霊場にもなっています。
1689(元禄2)年5月「奥の細道」の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、身代わりとなって主君を守った佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を詠みました、更に医王寺に残る悲しくも愛情に満ちた「中にも2人の嫁がしるし先づあはれなり、女なれどもかひがひしき名の世に聞えつるものかなと袂(たもと)をぬらしぬ」とし「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」と詠んだ句を残しました。
一説によると、芭蕉が旅の中で感涙の涙を流したのは全部で4回といわれていますが、その一つがこの医王寺で流した涙だと言われております。寺院内に芭蕉の句碑、瑠璃光殿では、県重要文化財や市指定有形文化財など多数の宝物をご覧いただけます。源義経が佐藤基治に形見に与えられたと伝えられる着物の端切れや、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる物、弁慶が奉納したと伝えられる笈(おい)や義経の愛用品など多数展示されています



(2022年7月の参拝です。)
源義経に従った佐藤兄弟の菩提寺医王寺に参拝し御朱印をいただきました。
医王寺は真言宗豊山派のお寺でご本尊は大日如来です。
本堂には源義経の身代わりに討ち死にした佐藤兄弟の死を悲しんだ母を慰めようと
二人の妻が武将姿に扮した人形がのこされています。
松尾芭蕉の歌碑があり、ここで
笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟
と詠まれています。
弁慶が寄贈した笈が残されています。
参道を歩くと鯖野薬師堂があり薬師如来をお祀りしています。
最期は源義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げた佐藤継信・忠信公のお墓、像があります。
悲しみのため、蕾のまま落ちてしまうそう乙和椿もありました。
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飯坂線医王寺下車。徒歩20分くらい? 住宅地の中にあり経路は曲がる所も多く少し迷いました。
源義経の従者として有名な佐藤継信,忠信兄弟の実家である信夫佐藤氏の菩提寺です。
佐藤氏は代々奥州藤原氏の重臣でした。
境内には義経,継信,忠信の銅像および「ああ、義経、佐藤一族」と言う歌の歌碑も。
奥に進むと継信,忠信の父であり佐藤一族の当主である佐藤基治とその妻・乙和子の墓碑もあります。
兄弟の母である乙和子は奥州藤原氏三代目・秀衡の従姉妹にあたります。
墓碑の側にある乙和椿は、息子を失った母の悲しみに呼応するように花の咲かない椿だと言われています。
注目は境内にある宝物庫で、佐藤一族ゆかりの品々の他、「平教経の矢の根」なんてものも。
佐藤継信は屋島の戦で、義経をかばい敵の平教経の矢を受けて絶命しますが、義経はその矢を引き抜き、奥州に戻った時に父の基治に遺品として渡したのがこれだそうです。
このあたりの歴史が好きな人にはぜひお勧めの場所ですね。
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