いせあまてらすみおやじんじゃ(おおいしじんじゃ)
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楽しみ方伊勢天照御祖神社(大石神社)のお参りの記録一覧

佐賀神社巡りからの久留米③

社頭

平成二十七年(2015)奉納の駐車場側鳥居

案内板

社号標

修繕寄付芳名塔

嘉永四年(1851)奉納の一の鳥居


参道

久留米市指定無形文化財「大綱引き」説明板

昭和三十六年(1961)?奉納の二の鳥居


狛犬


奉納年は不祥 「社宮司 舩曳周防守久光 石工 秦甚平」と刻まれています

燈籠

手水舎

手水鉢

参道

昭和十四年(1939)奉納の燈籠


寛政七年(1795)奉納の燈籠


注連柱

神楽殿

御神木


拝殿

本殿




平成二十四年(2012)奉納の九千坊河童像

九州最強の河童王「九千坊河童」説明板

燈籠

祈願石置場


文化五年(1808)奉納の境内社狛犬


台座と狛犬本体と劣化状態が異なるので、狛犬は後から作成奉納された可能性があります

境内社 佐岐神社

恵比須神社


恵比須様

石祠

上掲石祠の左、池神


上掲石祠の右、麻利位支天


境内社 淡島神社 御祭神:少彦名命


授かり石



御神木 樹齢推定400年、「伊勢ぎんなん」


【筑後國 式内社巡り】
伊勢天照御祖神社(いせ・あまてらす・みおや~)は、福岡県久留米市大石町字速水にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は天照國照彦天火明尊。 別名「大石神社」。
創建は不詳。社伝によると、国司越前守の何某かが伊勢大神宮の瑞垣内の小石と古鏡を当地に祀ったと伝える。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「筑後國 三井郡 伊勢天照御祖神社 小」の論社で、他の論社としては「伊勢御祖神社」(福岡県久留米市御井町)がある。古くは「伊勢御前神社」あるいは「天照御前神社」と記されていたが、のちに「大石御前」と記されるようになり、『筑後國神名帳』にある「正六位 大石兵男神」は当社のことであるとしている。
当社は、JR鹿児島本線・久留米駅の南西600mの住宅地の真ん中にある。地元密着型のようで、看板などは見当たらず、住宅街の中の細道を進んでようやく到着する。東西に長い境内はそれなりの広さがあり、旧県社らしさを感じられる。草木は少なめで明るく、年季の入った鳥居、社号標などの構造物や、御神木の古木などから古社らしさを感じられる。
今回は、筑後國の式内論社、福岡県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外には特に参拝者は見掛けなかった。

境内西端入口全景。

入口の右手にある<社号標>。

参道を進んで<一の鳥居>。

<一の鳥居>の扁額には「伊勢御祖神社」とある。

社殿周りは一段高いところにある。古木がたくさんあって迫力がある。

階段を登ったところにある<二の鳥居>。

<二の鳥居>の扁額にも「伊勢御祖神社」とある。

参道左側の<狛犬>。

参道右側の<狛犬>。

参道左側の<手水舎>。

参道途中から社殿方向をお望む。

参道左側の建物。<授与所>かな。

<拝殿>全景。向拝の大きい神明造。

<拝殿>内部。簡素な造り。

拝殿正面にある<祈願神石>。霊石箱から霊石を授かり、願い事を書いて祈願神石置場に納めると願いが叶うみたい。
この近く左手に書置きの御朱印が置いてある。

拝殿後ろの<本殿>。こちらもちゃんと神明造。拝殿と本殿は分離している。

拝殿に向かって右手にある建物。形状からすると<神楽殿・能舞台>か何かかな。

社殿の右奥にある<御神木>。非常に高い。

拝殿奥(境内東側)に境内社などが集まっているため、右手(南側)から順に見て廻る。
まずこちらは<九千坊河童>。筑後川に住む九州最強の河童王とのこと。

九千坊河童の左手にある<祈願神石置場>。

祈願神石置場の左隣にある境内社。表札には「*岐神社」。

左側の境内社は<恵比須神社>、右側は表札がなく社名は不明。

石製小祠2社。社名は不明。

こちらは<淡島神社>。

境内東側億端にある<授かり石>。

最後に<社殿>全景。神明造で統一された社殿が印象に残る。(^▽^)/
夫の福岡出張中の参拝です。
境内に「九千坊河童王」の像があります。
平日の夕方一人での参拝していると、地元の人らしきおじさまが熱心に授かり石について説明してくれたそうです。
夫は、どんな説明をしてくれたのか覚えていないらしく、結局私はなにもわからない(笑)
<鳥居>
<手水舎>通称「大石神社」だからですかね。大きな石でできてます。
<拝殿>
<淡島神社>婦女子の守り神。
<授かり石>淡島神社の横にあります。
<九千坊河童(くせんぼうかっぱ)像>筑後川に住む、九州最強の河童王だそうです。
<九千坊河童>出身地は中央アジア、タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド河の源流とかいてあります。極寒と食糧不足に耐えかねて、部下九千匹をつれてこの地に来たそうです。
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