すいてんぐう
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水天宮ではいただけません
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水天宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月17日(月)
参拝:2023年2月吉日
【筑後國 古社巡り】
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市瀬下町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。全国にある水天宮の総本宮。祭神は天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院・平徳子)、二位の尼(平時子)。
社伝によると、平安時代末期の1185年、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年~1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのが始まり。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里人に請われて加持祈祷を行ったことから当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ中納言平知盛の次男の子・平右忠が千代の元を訪れその後嗣としたが、これが現在まで続く社家・真木家の祖先。幕末志士の真木保臣(真木和泉守)は第22代宮司で、境内社の真木神社に祀られている。
慶長年間(1596年~1615年)に久留米市新町に遷り、1650年に久留米藩2代藩主・有馬忠頼により現在地に社殿が建てられ遷座した。その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に9代藩主・有馬頼徳は1818年に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、これが明治の1872年に遷座して東京水天宮となっている。別途、1868年に元神明宮(東京都港区)に分霊され相殿に祀られている。明治時代に入り近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR鹿児島本線・久留米駅の西方300mの市街地の外れ、筑後川の東岸にある。境内は南北に200m以上と長く、境内南端から続く長い参道を進むと、大社らしい雰囲気をじっくり味わえる。大きな社殿の周りはシンプルな造りで、大きな社務所と境内社がいくつかあるぐらい。
今回は、福岡県の旧県社、別表神社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人々の信仰も篤いようで、初宮参りなどの昇殿祈祷者を含め、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口全景。
参道左側の<狛犬>。青銅製で細マッチョ系。
参道右側の<狛犬>。
参道進んで、まず<一の鳥居>。
<一の鳥居>の石扁額は、東郷平八郎伯爵謹書。
参道右手にある<戦艦千歳慰霊碑>。
参道右側にある<真木神社>。第22代当宮宮司で、幕末志士である真木保臣(真木和泉守)を祀る。
参道右手にある<山梔窩(くちなしのや)>。真木保臣が南方の水田村(現筑後市水田区)で開いた尊王討幕の塾を再現したもの。
参道右手にある<真木保臣>の像。
<真木保臣>の像のアップ。
やがて参道は社叢の中に入って行く。<注連柱>をくぐった先には<神橋>が架かっている。
参道左側の<手水舎>。
美しい花々で飾り付けられた<手水盤>。
参道突き当りの、一段高いところにある<神門>。
神門前左側の、かなり大きな<狛犬>。
神門前右側の巨大な<狛犬>。
神門をくぐったところから、正面の眺め。
神門をくぐったところから、右前方の眺め。この建物は<社務所>で、御朱印はこちら。
神門をくぐったところから、左前方の眺め。小さな建物は<臨時授与所>で現在は使われていないみたい。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。扁額の「水天宮」の文字が面白い。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿の大きさに比べるとコンパクトに見える。
社殿の右側にある<千代松神社>。
千代松神社の左隣にある<秋葉神社>。
本殿の裏手にある<水神社>。
本殿の左側から見える<筑後川の流れ>。
拝殿に向かって左手にある<お御籤販売所>。現在は使われていないみたい。
最後に<社殿>全景。大きくてどっしりとした、まさに大社の造り。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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