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信行寺の日常(61回目)福岡県宇美駅

【仏教コラム】生きる意味を仏教から考える。やりがい、生きがい編

投稿日:2020年06月10日(水)
【仏教コラム】
生きる意味を仏教から考える。やりがい、生きがい編

皆さん、こんにちは。
浄土真宗本願寺派の僧侶、神崎修生です。

最初に質問です。

「あなたの本当にしたいことは何でしょうか?」

本当にしたいことが見つかり、やりがいや生きがいをもって日々が生きられれば、人生は充実したものになるでしょう。

やりがいや生きがいは、人生を豊かにも幸せにもします。

今回は、「生きる意味を仏教から考える。やりがい、生きがい編」と題して、「自分が、本当にしたいことは何だろうか?」という問いから、生きる意味について考えてみたいと思います。


生きる意味について、色々な角度から考えることもできますし、また色々な答えもあることでしょう。やりがいや生きがいだけが、生きる意味ではないことは前提におきながら、話をさせていただきます。

▼音声でもお聞きいただけます
https://youtu.be/7EfJA-Ko0jU


▷時間の有限性

生きる意味について考える時に、おさえておくとよいキーワードの一つが、時間の有限性です。

人は必ず亡くなるということであり、健康な状態がいつまでも続くわけでもないということです。これは決して、ネガティブに考えているのではなく、時間は有限であることを現実として認識し、前提として生きるということです。

お釈迦様の言葉に、このような言葉があります。

諸々のことがらは 過ぎ去っていく。
怠ることなく 勤め励みなさい。

『大パリニッバーナ経』第6-7


ものごとには発生と消滅とがあることを理解せずに100年生きるよりも、
ものごとの発生と消滅とがあることを理解して1日生きるほうがすぐれている。

『ダンマパダ』113

ものごとは常に移り変わっていくという諸行無常のことわりについて、しっかりと理解し、認識することの大切さ、そして、時間の有限性を前提にして、日々励むことの重要性について語られている言葉かと思います。


時間が有限であることは、誰しもが頭では理解していることです。しかし、それが本当に腹おちして頷けるかというと、そうばかりでもないでしょう。

若くて健康な時には、自分が亡くなったり、病気になるなんて実感がわかないですし、また、考えたくもない場合もあるでしょう。死にたくないし、病気にもなりたくないのは、人の素直な感情です。


また、時間の有限性については、一生懸命理解しようとするという類いのものでもありません。私は死ぬ、私は病気になると、自分に言い聞かせると、気持ちが滅入りますよね。

基本的には、無理をせず、時間をかけながら年を重ねながら、自然と受け容れられてくるものです。

とはいえ、本当は若い時から、時間の有限性を意識して生きたかったと思われる方もいるでしょう。時間の有限性が感じられるからこそ、生きている実感がわいたり、頑張れたりもします。

お釈迦様の言葉からも、時間の有限性を意識して生きることや、日々を大切に生きることの大切さは伝わってきます。


では、どのようにすれば、時間の有限性を無理をせず感じながら、日々、やりがいや生きがいをもって生きるようになれるのでしょうか?


▼続きはこちらをごらんください
https://online-temple.net/?p=478


#生きる意味仏教 #人生の意味仏教 #人生の有限性 #本当にしたいこと
信行寺(福岡県)

すてき

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