うみはちまんぐう
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糸島市宇美八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月19日(月)
参拝:2022年11月吉日
【筑前國 古社巡り】
宇美八幡宮(うみ・はちまんぐう)(糸島市)は、福岡県糸島市川付にある神社。旧社格は県社。当社は上宮と中宮から構成され、祭神は(上宮)仲哀天皇、(中宮)応神天皇、神功皇后、玉依姫、瓊瓊杵尊、気比大神(天日鉾尊)、菅原大神。
社伝によると、上宮の創建は神功皇后摂政元年(201年)、神功皇后は香椎宮に安置されていた仲哀天皇の御棺を長嶽山に斂めるよう、武内宿禰に命じて宮を築かせたのが始まり。その後、神功皇后が朝鮮出兵の折、越前國の気比神宮の御祭神・気比大神が船上に現れ神功皇后と国土を守護したため、帰国後神功皇后は神恩に感謝し長嶽山で祭礼を催した。中宮の創建は仁徳天皇10年(322年)、武内宿禰の孫・武内博公を神官として当地に社殿を建立し、気比大神(天日鉾尊)を祀ったのが始まり。奈良時代の767年に社務の武内公実が八幡宮、聖母宮、宝満宮を勧請している。のち当社は神仏習合の形で発展し、高野山金剛峰寺に属し、長嶽山瑞雲院宝蔵坊と称した。江戸期には中津藩の保護を受け社殿の修復には藩費が充てられた。現在の社殿は1759年に中津藩3代藩主・奥平昌邦による建立。
当社(中宮)は、JR筑肥線・周船寺駅の南東5kmの長野川沿い、入口は平地にあって、社殿は小高い場所にある。入口付近にはいくつかの境内社と社務所などがあり、数十段の階段を登ると社殿があるという造り。拝殿は絵馬殿を兼ねた割と大きなもので、旧県社らしいサイズ感。境内から東側の長野川沿いの景色を望むことができる。
今回は、越前國の式内社、福岡県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外の参拝者は特に見掛けなかった。
境内東方の川岸にある<注連柱>。
注連柱の前の景色はこんな感じ。なぜ川岸に参道の始点があるかは不明。(。´・ω・)?
注連柱をくぐって進むとすぐに<一の鳥居>。
この鳥居をくぐって進んだところを横切っている道が最寄りの公道。
この鳥居をくぐって進んだところを横切っている道が最寄りの公道。
参道進んで<二の鳥居>。公道から普通に当社に向かうと、一つ目の鳥居がこちら。
境内東端入口全景。
境内東端入口の<三の鳥居>と<社号標>。社号標の石碑が豪快。
鳥居をくぐって階段を登ったところからの眺め。写真右側から順に見ていく。
右手少し離れたところにある<宇美八幡宮教務所>の門。社務所のことかな。
教務所の門の左側にある<手水舎>。
手水舎の左側にある<金比羅神社・生目神社>。(解説板と扁額の社名が違う...汗)
この左側には社殿への階段がある。
この左側には社殿への階段がある。
社殿への階段の左側にある<宮地嶽三社・風神神社>。
宮地嶽三社・風神神社の左側にある<猿田彦神社>。
猿田彦神社の左手少し離れたところにある建物。絵馬殿か、神楽殿か、その両方兼用の建物か。(^_^;)
社殿への階段を登って行く。
階段を登り切ったところからの眺め。
参道左側の<狛犬>。なかなか年季が入っている。
参道右側の<狛犬>。下あごから下が欠けている。
参道右側の、2つ目の<手水舎>。こちらは新しく造ったのかな。
参道を少し進むと、もう一対の狛犬が。左側の<狛犬>は尻上りの構え。
ただし、右側の<狛犬>はおすわりの構え。左右で異なるのは珍しい。
右側の狛犬の傍にある<砂の台>。筥崎宮や志賀海神社の<お潮井>(厄払いの塩)と同じみたい。
<拝殿>正面(内部)。横幅が広く、広々として開放的な空間。
<拝殿>内部、角度を変えて。たくさんの大きな絵馬が掛かっている。
拝殿を横から見るとこんな感じ。奥行に対して横幅がかなり広いのが分かる。
拝殿後ろの<本殿>。見えにくいが、本殿両側に<随神像>が置いてある。
社殿周り全景。広々として明るい空間になっている。
最後に、社殿近くから見える東側の景色。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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