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創建不詳。
16世紀この地域を治めた原田氏の崇敬を集め、1507年原田興種が社殿を建立し、興種の子・原田隆種、孫の原田親種が社殿の再興や社領の寄進をした記録が残る。
江戸時代は福岡藩・黒田家の保護を受け、3代藩主・黒田光之は本殿再建の材木の寄進、4代藩主・黒田綱政は鳥居の寄進を行っている。
現在の本殿は、1541年原田隆種が建築し、1572年原田親種が修理したものを1662年黒田光之が改築したもので今年重文指定される。
拝殿
拝殿
拝殿
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
思兼神社
伊弉諾神社
神楽殿
【筑前國 古社巡り】
高祖神社(たかす~)は、福岡県糸島市高祖にある神社。式外社(国史見在社)で、旧社格は県社。祭神は産火火出見命(主座)、玉依姫命(左座)、息長足姫命(右座)。通称は「高祖宮」。
創建は不詳。国史である『日本三大実録』に見える「高礒比咩神」に比定されるとする説がある。伝承によると、鎌倉時代の1197年に原田種直が当地に入るに際し、当社宮司の上原氏と姻戚関係を結び、高祖山の怡土城跡に高祖城を築城してその麓に高祖神社を遷したという。その後、中世期には当地領主・原田氏が代々崇敬し、戦国時代末期まで保護した。江戸時代になって、当地が福岡藩の領地となると福岡藩主・黒田家から崇敬され、1662年に3代藩主・黒田光之が社殿を改築し、4代藩主・黒田綱政が石鳥居を造営している。明治に入り郷社に列し、その後県社に昇格した。
当社は、JR筑肥線・周船寺駅の南方4kmの、高祖山(標高416m)の西側中腹にある。山裾の平地の鳥居から社殿までは700mの距離と高低差がある。緩やかに上る参道を進むと、社殿周りは意外に広く、石垣の上に立つ社殿は下から見上げるとかなり立派。神域の雰囲気も非常に良い。
今回は、越前國の式外社、福岡県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、隠れた地元の観光スポットなのか、自分以外にも家族連れなど数組の参拝者を見掛けた。
境内西端入口にある、1つ目の<注連柱>。
振り返った眺め。小高い場所にある。
参道右側の「高祖宮」と刻まれた石。(この左手に駐車場がある。)
ここから参道は少しずつ登って行く。
参道の途中にある<一の鳥居>。
さらに進むと2つ目の<注連柱>。
参道から左手に外れたところにある<徳満宮>。立派な拝殿と本殿がある。
参道に戻って、階段を登ったところにある<二の鳥居>。
二の鳥居の左側にある<神楽殿>。
神楽殿近くから見た<社殿>。当社は「怡土(いと)城址」の石垣の上に建っている。
拝殿前にも<注連柱>。
注連柱をくぐって左手にある<手水舎>。
こちらが<手水盤>。お洒落な形に、きれいな色合いの花々。(o^―^o)
<拝殿>正面。「高祖宮」の扁額。建物は前方、側面には壁がない形式。
拝殿前左側の<狛犬>。鼻から下が崩れてしまっている...
拝殿前右側の<狛犬>。こちらも下あごから下が崩れてしまっている。
拝殿内上部の絵馬類。
拝殿後ろの<本殿>。檜皮葺の美しい造り。
本殿の左側にある<思兼神社>。
本殿の右側にある<伊弉諾神社>。
<社殿>全景。いかにも古社らしい雰囲気が良い。
最後に、社殿周り全景。戦国時代の城の上にあるだけあって、西洋の神殿のような雰囲気。(^▽^)/
名称 | 高祖神社 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》天津日高彦火火出見尊,玉依比売命,息長足姫命,天照皇大御神,豊受大神 |
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