いずみおかひとことじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
おすすめの投稿

お山を御神体とし、社殿を持たない珍しい神社。行きたいリストに入れていたものの、いつ行かれるか…と思っていたら意外と早く機会がめぐってきた。
拝所の向こうががらんどうなのに改めて驚くと共に、さらに驚愕の発見が。その拝所の向こうには真新しい砂防ダムが…!えぇ…。
昨今の自然災害の多さを考えると仕方ないのか。
他言せずに祈れば一つだけ願いを叶えてくれる神様だとか。そう言われると尚更言いそうになってしまうのは何故かしら。






境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
創立の年月不詳。社伝によれば、「大和国葛城に鎮座する神を奉祀した」という。鎌倉時代の文永二年(1265)『若狭国総田帖』に「泉岡一言宮壹反・・・」と記され、『若狭国神階記』には「正五位泉岡一言神社、正月初午日、八月朔日に祀り能楽を催せり。」とある。また寛延年間(1748~1751)の社記に「創建由緒知不申候」、縁起書には「盤境を以って宮となす。神告げていわく、吾れ宮祠を好まず、しいて影光を止めおくなら、野嶽をもって社とせよ。」とある。郷民神意にそって社殿を建てなかった。また「神の使者として青毛の馬あり」ということから、昔より馬を養ったことがない。口伝では「往昔一言大神が青馬に乗り給い、今の社地に降座された時、里人が此の所に宮殿を造営致しましょうと伺った時、吾は宮祠を好まず」といわれたという。
古事記下巻の雄略天皇の項に、葛城山狩場での天皇と大神の問答に「・・・私は悪事も善事も一言で決めてしまう言離の神で、葛城の一言主之大神である」といわれた。天皇はおそれかしこみ太刀や弓矢を献上したと記されている。また『日本書紀』(720)の雄略天皇の条には、「一言大神は大和葛城山より影向の霊神として、山嶽・樹林を馳せ廻り、その神馳は無相で正邪に激烈な神である。人の道にかなっているなら、念ずるところを一言で「善し」といい願事を守り恵み給う」と記されている。
『神社明細帳』に、社殿「即今無之」。境内「六百六坪官有地第一種 外千二百十二坪 三十八年一月十一日境内地編入許可」とでている。最近は、毎月一日の月並祭や正月二日の祈祷初詣には、遠近からの氏子・崇敬者の参拝者が多い。
| 名称 | 泉岡一言神社 |
|---|---|
| 読み方 | いずみおかひとことじんじゃ |
| 参拝にかかる時間 | 10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 電話番号 | 0770-57-1192 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| SNS |
詳細情報
| ご祭神 | 一言主大神 |
|---|---|
| ご神体 | 野木ヶ岳 |
| 創建時代 | 不詳 |
| 本殿 | なし |
| ご由緒 | 創立の年月不詳。社伝によれば、「大和国葛城に鎮座する神を奉祀した」という。鎌倉時代の文永二年(1265)『若狭国総田帖』に「泉岡一言宮壹反・・・」と記され、『若狭国神階記』には「正五位泉岡一言神社、正月初午日、八月朔日に祀り能楽を催せり。」とある。また寛延年間(1748~1751)の社記に「創建由緒知不申候」、縁起書には「盤境を以って宮となす。神告げていわく、吾れ宮祠を好まず、しいて影光を止めおくなら、野嶽をもって社とせよ。」とある。郷民神意にそって社殿を建てなかった。また「神の使者として青毛の馬あり」ということから、昔より馬を養ったことがない。口伝では「往昔一言大神が青馬に乗り給い、今の社地に降座された時、里人が此の所に宮殿を造営致しましょうと伺った時、吾は宮祠を好まず」といわれたという。
|
| 体験 | 祈祷おみくじ御朱印お守り祭り伝説 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ














































6
0