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はちまんじんじゃ

八幡神社の御由緒・歴史
福井県 敦賀駅

ご祭神《主》誉田別尊,《配》五十日足彦命
ご由緒

創立年代不詳。
社伝に「第15代応神天皇が皇太子の時に武内宿祢を従えて、気比神宮に参拝されました折に、浦人が、この地に砂を盛り、地を清めて、行宮を建立いたしました。その後、築地八幡宮、正八幡宮と尊称申し上げた」といいます。
延喜式神名帳の越前国敦賀郡石田神社は「石田君之祖、即ち、石田大神」を大宝4(704)年2月に奉祀された社で、氏人の祖神であり、亦社家石井家の祖神であります。
宝亀11(780)年2月8日に第48代光仁天皇の勅を奉じた藤原永手が神殿を造営して、主祭神に譽田別尊、配祀神に石田大神(五十日足彦命)を奉斎されました。
貞観元(859)年7月14日に神祇大副の大中臣豊雄が勅使として奉幣された。
亦、弘安4年(1281)の元寇の国難と正応年中(1288~93)の異国降伏を御祈願に際して帝の勅を奉じて、奉幣の神事がありました。
弘治2年(1556)に朝倉義景が本殿を造営し、疋田城主の疋田景継が、同3年5月28日に阿弥陀仏像を奉納し、年々御供米50石を寄進されました。
元亀元年(1570)に織田信長と朝倉義景とが戦った時に罹災したが、天正12年(1584)に敦賀城主大谷刑部少輔吉隆が石燈籠一基を献納。
天正16(1588)年8月羽柴出羽守勝俊が幣帛を奉り、翌17年に大谷吉隆が太刀一口を奉納。
慶長3年(1598)に京極忠高が神殿を修造した。
寛永元(1624)年4月に福井城主松平秀康の代参多賀越中守が奉幣百疋を奉り、毎年御供米10石を寄進した。
慶安元年(1648)に後光明天皇から御紋章幕、提灯の御下賜があり、文政9(1826)年4月に青蓮院宮から御紋章提灯の下賜がありました。
その他に歴代の藩主や武将、庶民の崇敬が篤く、各種の奉納・奉祀がなされて来ました。
明治元年に、北越総督仁和寺宮、北陸鎮撫使高倉永祐、同副使四条降謌等の参拝がありました。
明治11年10月10日に明治天皇兵火が敦賀に車駕を駐められた時に、宮内卿徳大寺實則が幣帛料を奉って御代拝なさいました。
 明治4年に小浜藩庁から藩社に列せられ、明治8年10月10日に敦賀県から郷社に列せられた。
明治41年4月26日に神饌幣帛料を供進される神社に指定された。
昭和12年8月18日に、県社に列せられた。
 境内には杉・松・タモ・楓などが繁り、社殿壮麗に、神域は清浄に、氏子・崇敬者の尊敬奉賛の誠を捧げています。
 昭和3年に昭和天皇の御大典記念事業として、本殿・末殿の屋根葺替。昭和4年に拝殿を改修し、昭和5年に雑庫を新築した。
 今上陛下の御大典記念に拝殿・手水舎・社務所の改修工事を行った。

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