けひじんぐう
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【越前國 式内社巡り】
氣比神宮(けひ・じんぐう)は、福井県敦賀市曙町にある神社。式内社(名神大)で、越前國一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、伊奢沙別命(いざさわけ:笥飯大神(けひのおおがみ):御食津大神)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、日本武尊、玉姫命、武内宿禰命。大鳥居は「日本三代鳥居」の1つにも数えられ、国指定の重要文化財となっている。
社伝によると、上古の時代に主祭神の伊奢沙別命(氣比大神)が当宮北東の天筒山に霊跡を垂れ、当宮境内北東部の土公の地に降臨したという。また仲哀天皇の時代に特に三韓征伐出兵に関し神功皇后、武内宿禰、玉依姫が氣比大神を祀り、仲哀天皇8年(199年)に当宮を創建、のち飛鳥時代の702年に文武天皇の勅により社殿が造営されたという。国史にもたびたび掲載され、『日本書紀』では持統天皇6年(692年)に社領増封の記載がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越前國 敦賀郡 氣比神社七座 並名神大」に比定されている(※)。
南北朝争乱の1336年、当社大宮司・大宮司氏治(気比氏治)は後醍醐天皇を奉じて金ケ崎城を築き足利軍を迎えたが討ち死にし、社領を減じられたがなお24万石を所領したという。また戦国時代の1570年、大宮司憲直(気比憲直)等一族は織田信長の北伐に対抗したが敗北し社領は没収され、祭祀は廃絶した。江戸時代に入り1614年、福井藩祖・結城秀康が社殿を造営し社領100石を寄進した。明治時代になり、旧称「四社之宮」を「氣比神宮」と改称し、近代社格制度のもと国幣中社に列格した。
当宮は、JR北陸本線・敦賀駅の北方1kmの、敦賀湾にほど近い平地にある。当宮由緒にある天筒山は北東1km、金ヶ崎城址は北方1kmの位置にある。敦賀市街地の中にあり、境内は大社としては十分な広さはあるものの広大ではない。第二次世界大戦で米軍による敦賀大空襲で被災しているため、社殿や社叢はすべて戦後以降のものとなっている。唯一戦火で焼失しなかった大鳥居が国指定の重要文化財となっており、奈良の春日大社の大鳥居、廣島の厳島神社の大鳥居と合わせて「日本三代鳥居」にも数えられている。
今回は、越前國の式内社、越前國一之宮、旧国幣中社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、わりと多くの人々が参拝に訪れていた。
※当社の境内摂社である次の5社も延喜式神名帳に記載のある「越前國 敦賀郡」の式内社。
「角鹿(つるかの)神社」、「大神下前(おおむわしものさきの)神社」、「天利剣(あめとつるぎの)神社」、「天比女若御子(あめひめわかみこの)神社」、「伊佐奈彦(いさなひこの)神社」。
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