しょうはちまんじんじゃ
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清和(せいわ)天皇の代、貞観(じょうかん)元年(859)宇佐八幡宮を京都の男山に勧請する途上、弓杖湾(ゆづえわん)に船泊りした時、御神託により大井浜にも仮神殿を造って斎祀した。その後、宇多(うだ)天皇の代、寛平(かんびょう)2年(890)に大井宮に合祀して大井八幡宮と改号されたが、その後また御神託により旧神域にも斎祀し正八幡宮と称号した。故に大井八幡大神社との関係は御鎮座以来きわめて深く、現在に及んでいる。
明治初年、官令により大井浜村の村社と定められ、村内にあった他の社を合祀した。明治42年に内務省令により、大井八幡大神社に合併され、その摂社となったが、第二次大戦後、御神霊をまた旧神域の現在地に遷座し斎祀することとなった。
| 名称 | 正八幡神社 |
|---|---|
| 読み方 | しょうはちまんじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 主祭神 誉田別命 合祀祭神 大己貴命 事代主命 菊理姫命 |
|---|---|
| ご由緒 | 清和(せいわ)天皇の代、貞観(じょうかん)元年(859)宇佐八幡宮を京都の男山に勧請する途上、弓杖湾(ゆづえわん)に船泊りした時、御神託により大井浜にも仮神殿を造って斎祀した。その後、宇多(うだ)天皇の代、寛平(かんびょう)2年(890)に大井宮に合祀して大井八幡宮と改号されたが、その後また御神託により旧神域にも斎祀し正八幡宮と称号した。故に大井八幡大神社との関係は御鎮座以来きわめて深く、現在に及んでいる。
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