えいふくじ|高野山真言宗|府頭山(ふとうざん)
栄福寺のお参りの記録一覧
3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の7寺院目です。
仙遊寺から車で10分です。
心配していた雨がやみ 蒸し暑くなってきました。
駐車場から境内まで歩いてすぐの距離でしたが 汗だらだらでした。
参道から境内はUの字に曲がっている感じで 納経所の前でぐるっと向きを変え 金毘羅堂と薬師堂にお参り。続いて石段を上がって 大師堂と本当にお参りしました。
正確な名前は忘れたのですが 縁結びの紐があり ご本尊とつながる紐がありますので しっかり握りしめました。この縁をはなすものか。
御朱印を拝受して帰ろうと思ったら 変わったものを見つけました。
トイレです。
写真を撮らなかったのですが 小さなコテージみたいな感じです。ネットで見られます。
グッドデザイン賞をとっているんですって。素敵ですね。
山号は府頭山(ふとうざん) 院号は無量寿院 宗旨宗派は高野山真言宗 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていせい からうん
ご詠歌:この世には弓矢を守る八幡(やはた)なり 来世は人を救う弥陀仏(みだぶつ)
でした。
由緒については
寺伝によれば 弘仁年間(810年 – 824年)巡錫に来た空海が 嵯峨天皇の勅願により 瀬戸内海の風波海難の平易を祈って府頭山々頂で護摩供を修し その満願の日に海はおさまり海上に阿弥陀如来が影向した。
その尊像を山頂に引き上げ堂宇を建て本尊として開基したと云われている。
その後 貞観元年(859年)大和・大安寺の行教上人が 宇佐八幡から京都山城に分社の男山八幡(石清水八幡宮)を創建するため 近海を航行中暴風雨に遭いこの地に漂着した。
上人は府頭山の山容が山城の男山に似ており しかも阿弥陀如来は八幡菩薩の本地仏であることから この山頂の境内に八幡明神を勧請し神仏習合の「勝岡八幡宮」を創建した。
とありました。
石柱
山門はありませんでした
修行大師像
お願い地蔵
手水舎
やっぱり龍でした
鐘楼
納経所
右 大師堂 左 本堂
修行大師像
石柱
お砂ふみ場
大師堂
内陣
本堂
仏足石
縁結びの糸
内陣
薬師堂
金毘羅堂
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
57番 栄福寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
57番 栄福寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
57番 栄福寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
57番 栄福寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
57番 栄福寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
57番 栄福寺。
【府頭山(ふとうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)栄福寺(えいふくじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師
栄福寺は、第52代 嵯峨天皇(在位809-823)の勅願寺と伝えられている。弘仁年間(810-824)に弘法大師(774-835)が、この地に立ち寄った際に、海上の安穏を祈願して、瀬戸内海を望む府頭山山頂で護摩法を修法した。修法満願の日に、海上に阿弥陀如来が出現し、その阿弥陀如来を本尊としたお堂を山頂に建立したのが、栄福寺のはじまりとされる。神仏習合の八幡宮建立後、明治政府による神仏分離令により、寺は山の中腹の現在地に移転している。
【57_T.Hamada's view】
本堂
【57_海から現れた阿弥陀如来】
海難事故が絶えなかったこの地域で、弘法大師が府頭山山頂で海上安全を祈願。満願の日に、海上から光溢れる阿弥陀如来が現出したとされている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【57_本堂】
【57_大師堂】
【57_大師堂】
立派な彫刻。
【57_龍の手水舎】
【57_お願い地蔵】
【57_箱車】
箱車(はこぐるま)は、1933(昭和8)年、足の不自由な15歳の少年遍路さんが、栄福寺にお参りされた時に、乗っていた箱車を、連れていた犬に引っ張られ、本堂から転倒した。その際に、不自由であった足が治癒し、その御利益に感謝してそのまま箱車を奉納した。箱車は今も本堂の縁に置かれている。
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