えいふくじ
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栄福寺ではいただけません
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栄福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月04日(水)
参拝:2024年8月吉日
3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の7寺院目です。
仙遊寺から車で10分です。
心配していた雨がやみ 蒸し暑くなってきました。
駐車場から境内まで歩いてすぐの距離でしたが 汗だらだらでした。
参道から境内はUの字に曲がっている感じで 納経所の前でぐるっと向きを変え 金毘羅堂と薬師堂にお参り。続いて石段を上がって 大師堂と本当にお参りしました。
正確な名前は忘れたのですが 縁結びの紐があり ご本尊とつながる紐がありますので しっかり握りしめました。この縁をはなすものか。
御朱印を拝受して帰ろうと思ったら 変わったものを見つけました。
トイレです。
写真を撮らなかったのですが 小さなコテージみたいな感じです。ネットで見られます。
グッドデザイン賞をとっているんですって。素敵ですね。
山号は府頭山(ふとうざん) 院号は無量寿院 宗旨宗派は高野山真言宗 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていせい からうん
ご詠歌:この世には弓矢を守る八幡(やはた)なり 来世は人を救う弥陀仏(みだぶつ)
でした。
由緒については
寺伝によれば 弘仁年間(810年 – 824年)巡錫に来た空海が 嵯峨天皇の勅願により 瀬戸内海の風波海難の平易を祈って府頭山々頂で護摩供を修し その満願の日に海はおさまり海上に阿弥陀如来が影向した。
その尊像を山頂に引き上げ堂宇を建て本尊として開基したと云われている。
その後 貞観元年(859年)大和・大安寺の行教上人が 宇佐八幡から京都山城に分社の男山八幡(石清水八幡宮)を創建するため 近海を航行中暴風雨に遭いこの地に漂着した。
上人は府頭山の山容が山城の男山に似ており しかも阿弥陀如来は八幡菩薩の本地仏であることから この山頂の境内に八幡明神を勧請し神仏習合の「勝岡八幡宮」を創建した。
とありました。
仙遊寺から車で10分です。
心配していた雨がやみ 蒸し暑くなってきました。
駐車場から境内まで歩いてすぐの距離でしたが 汗だらだらでした。
参道から境内はUの字に曲がっている感じで 納経所の前でぐるっと向きを変え 金毘羅堂と薬師堂にお参り。続いて石段を上がって 大師堂と本当にお参りしました。
正確な名前は忘れたのですが 縁結びの紐があり ご本尊とつながる紐がありますので しっかり握りしめました。この縁をはなすものか。
御朱印を拝受して帰ろうと思ったら 変わったものを見つけました。
トイレです。
写真を撮らなかったのですが 小さなコテージみたいな感じです。ネットで見られます。
グッドデザイン賞をとっているんですって。素敵ですね。
山号は府頭山(ふとうざん) 院号は無量寿院 宗旨宗派は高野山真言宗 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていせい からうん
ご詠歌:この世には弓矢を守る八幡(やはた)なり 来世は人を救う弥陀仏(みだぶつ)
でした。
由緒については
寺伝によれば 弘仁年間(810年 – 824年)巡錫に来た空海が 嵯峨天皇の勅願により 瀬戸内海の風波海難の平易を祈って府頭山々頂で護摩供を修し その満願の日に海はおさまり海上に阿弥陀如来が影向した。
その尊像を山頂に引き上げ堂宇を建て本尊として開基したと云われている。
その後 貞観元年(859年)大和・大安寺の行教上人が 宇佐八幡から京都山城に分社の男山八幡(石清水八幡宮)を創建するため 近海を航行中暴風雨に遭いこの地に漂着した。
上人は府頭山の山容が山城の男山に似ており しかも阿弥陀如来は八幡菩薩の本地仏であることから この山頂の境内に八幡明神を勧請し神仏習合の「勝岡八幡宮」を創建した。
とありました。
すてき
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くるくるきよせん2023投稿
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