じょうるりじ
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浄瑠璃寺ではいただけません
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浄瑠璃寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月13日(火)
参拝:2024年7月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り。1日目の6寺院目です。
岩屋寺から車で40分ほどで着きました。
松山市内なので このエリアには複数の目的地があって助かります。
と言いつつ もう夕刻でした。
駐車場に車を停めると 歩いてすぐ境内に入れました。
境内は木陰で涼しく感じます。
建物は多くないのですが 石が多いです。
説法石 網かけ石 封じ石 仏足石 仏手花判などなど。
大師堂には だっこ大師とやらがおられ お大師様の誕生日にだっこできるそうです。
御朱印を拝受したあと 説法石でしばらく涼んてしまいました。
山号は醫王山 院号は養珠院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)和銅元年(708年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし
でした。
由緒については
寺伝によれば 大仏開眼を前にした和銅元年(708年)に布教に訪れた行基が堂宇を建立 本尊の薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩 十二神将を刻んで安置して開基したという。
その後 大同2年(807年)に空海(弘法大師)が本寺を再興したと伝わる。
室町時代末期には当寺に帰依した足利幕府の武将・平岡道倚(みちより)が伽藍を整備した。
正徳5年(1715年)の山火事で焼失し 江戸時代中期の天明5年(1785年)に住職・堯音(ぎょうおん)の尽力により復興した。
とありました。
岩屋寺から車で40分ほどで着きました。
松山市内なので このエリアには複数の目的地があって助かります。
と言いつつ もう夕刻でした。
駐車場に車を停めると 歩いてすぐ境内に入れました。
境内は木陰で涼しく感じます。
建物は多くないのですが 石が多いです。
説法石 網かけ石 封じ石 仏足石 仏手花判などなど。
大師堂には だっこ大師とやらがおられ お大師様の誕生日にだっこできるそうです。
御朱印を拝受したあと 説法石でしばらく涼んてしまいました。
山号は醫王山 院号は養珠院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)和銅元年(708年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし
でした。
由緒については
寺伝によれば 大仏開眼を前にした和銅元年(708年)に布教に訪れた行基が堂宇を建立 本尊の薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩 十二神将を刻んで安置して開基したという。
その後 大同2年(807年)に空海(弘法大師)が本寺を再興したと伝わる。
室町時代末期には当寺に帰依した足利幕府の武将・平岡道倚(みちより)が伽藍を整備した。
正徳5年(1715年)の山火事で焼失し 江戸時代中期の天明5年(1785年)に住職・堯音(ぎょうおん)の尽力により復興した。
とありました。
山門はありませんでした
かっこいい寺号碑(?)
鐘楼
境内は木陰で涼しい
封じ石
9つの災難から救ってくださいます
いぶきの巨木
籾大師
手水
手水に亀とカエル
仏足石
仏手花判(ほとけの指紋)
仏足跡歌とやらの由来
説法石
本堂
きれいですね
内陣
内陣
屋根の木組みがきれい
欄干には彫刻
大師堂
だっこ大師
内陣
納経所
網かけ石
このベンチ よく見かけます 見えますか 四国の型抜き
観音様
すてき
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くるくるきよせん2024投稿
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