御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月
繁多寺ではいただけません
広告

はんたじ|真言宗豊山派東山(ひがしやま)

繁多寺
愛媛県 北久米駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

山門前 5台、大型1台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第50番

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月14日(水)
1973投稿

1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の3寺院目です。
浄土寺から車で10分かかりませんでした。近いって嬉しいです。
住宅街の外れ 浄水場?の横にありました。
こちらも山門すぐの所に駐車場があり 有難いです。
山門をくぐると少し広くなった場所があり そちらに藤棚がありました。5月末ぐらいだときれいなんでしょうね。
本堂手前に鳥居が見えました。境内社?どうしても鳥居を見つけると神社と思う私ですが こちらは歓喜天でした。まぁ神といえば神ですが マップではお寺マークでした。
どう区別すればいいのか 分かりませんが 紙垂(神社の注連縄の白いひらひら紙)がなかったのでお堂かなと。今までもずっと悩んできたので 投稿を間違えているかもしれません。
こちらのお寺も建物の内陣を見て すぐにでもお勤めできます感があり すっきり整えられているのが素敵だと思いました。こういうのはご住職の思いの表れなのかなと思います。
大師堂には千羽鶴が下がっていました。そういえば他のお寺でも大師堂に千羽鶴を見かけたことがあります。何か謂れなどあるのでしょうか。誰か教えてくださいな。

山号は東山 院号は瑠璃光院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)天平勝宝年間(749年 – 756年) 開基は(伝)行基です。

ご真言ご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ
でした。

由緒については
寺伝によれば 天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により行基が開基し 孝謙天皇の勅願所となったという。
その際行基が坐高三尺の如来像を彫り 本尊として 光明寺と号したが 弘仁年間に空海(弘法大師)が留まって修行し現存の山号 寺号である東山繁多寺に改称したという。
一時後衰退するが 源頼義により再興され 弘安2年(1279年)には後宇多天皇のために聞月上人が 祈祷を行なっている。
また 一遍上人も当寺で学問修行したと伝えられる。
上人は後に「捨聖」として遊行し 正応元年(1288年)亡き父である如仏を偲び三部経を奉納している。
応永元年(1394年)には京都泉涌寺26世快翁師が後小松天皇の命を受け繁多寺第7世の住職に就き 以降天和年間(1681年 – 1684年)の寵湖など高僧が相継いで住職となるが 寵湖は徳川家の帰依を得ることとなり 4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を祀られることとなった。
将軍家の帰依を得たことで寺は一時は隆盛をきわめ66坊と末寺100余という大寺となる。
とありました。

繁多寺(愛媛県)

山門

繁多寺(愛媛県)

由緒書

繁多寺(愛媛県)
繁多寺(愛媛県)

藤棚

繁多寺(愛媛県)

レトロな公衆電話

繁多寺(愛媛県)

弁財天かな

繁多寺(愛媛県)

本殿

繁多寺(愛媛県)

手水は龍でした

繁多寺(愛媛県)

鐘楼

繁多寺(愛媛県)

歓喜天

繁多寺(愛媛県)
繁多寺(愛媛県)
繁多寺(愛媛県)

内陣

繁多寺(愛媛県)

毘沙門天

繁多寺(愛媛県)

本堂

繁多寺(愛媛県)

内陣

繁多寺(愛媛県)
繁多寺(愛媛県)

大師堂

繁多寺(愛媛県)

千羽鶴 多いですね

繁多寺(愛媛県)

修行大師像

繁多寺(愛媛県)

納経所

もっと読む
投稿をもっと見る(23件)

歴史

寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあり、のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されている。
縁起によると、天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられ、天皇より祭具としての幡を賜った為にこれが寺名になったという説もある。弘仁年間(810~24)、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留された。
その後、寺は衰微するが伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興、弘安2年(1279)には後宇多天皇(在位1274〜87)の勅命をうけ、この寺で聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷している。また、時宗の開祖・一遍上人(1239〜89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、有縁の寺に参籠して修行した。上人は晩年の正応元年(1288)、亡父・如仏が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納されている。
また、天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、応永2年(1395)には後小松天皇(在位1382〜1412)の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となっている。こうした縁から寺には16弁のご紋章がついた瓦が残っている。
さらに江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀るなど、寺運は36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えた。

歴史をもっと見る|
1

繁多寺の基本情報

住所愛媛県松山市畑寺町32
行き方

久米駅 下車 (1.7km)
伊予鉄バス 10番線 繁多寺口バス停下車(0.8km)
49【浄土寺】より
(自家用車)約5分 約2km
(徒歩)約25分 約1.5km
51【石手寺】より
(自家用車)約5分 約1km
(徒歩)約40分 約2.5km

アクセスを詳しく見る
名称繁多寺
読み方はんたじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ山門の近く
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号089-975-0910
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号東山(ひがしやま)
院号瑠璃光院(るりこういん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天平勝宝年間(749〜757)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあり、のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されている。
縁起によると、天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられ、天皇より祭具としての幡を賜った為にこれが寺名になったという説もある。弘仁年間(810~24)、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留された。
その後、寺は衰微するが伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興、弘安2年(1279)には後宇多天皇(在位1274〜87)の勅命をうけ、この寺で聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷している。また、時宗の開祖・一遍上人(1239〜89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、有縁の寺に参籠して修行した。上人は晩年の正応元年(1288)、亡父・如仏が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納されている。
また、天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、応永2年(1395)には後小松天皇(在位1382〜1412)の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となっている。こうした縁から寺には16弁のご紋章がついた瓦が残っている。
さらに江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀るなど、寺運は36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えた。

体験御朱印札所・七福神巡り
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ